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211210

最近知り合った人は、とても外向的な人。常に誰かと話したり忙しなく動き回ったりしている気がするし、私の感覚からすると本当にびっくりするほどおしゃべりで、もしも頼まれても許されても、私は絶対にあんなに喋れないよなと、純粋な驚きを覚える。一日の活動量が、私の10倍くらいありそう。

昔の知り合いにも同じくらい外向的な人がいて、当時非社交性の塊だった私をボウリングやカラオケに誘うようなツワモノ?で、何度も断ったけど結局最後は説き伏せられて一緒に遊びに行った記憶がある。その人を思い出す。だけど、当時と明らかに違うのは、相手との心理的な距離感だ。

かつての知り合いには、正直なところ親しみを覚えなかった。「この人はなんでこんなに馴れ馴れしいんだろう」と思っていたし、逆に相手は「なんでこいつ(私)はこんなによそよそしいんだろう」と感じていたのではないかと思う。恐らくお互いに相手の言動を不可解に思っていて、ちょっとしたやり取りでも認識のズレが生じることが多々あった。

今は互いに違いがあることを前提として認めた上で接しているせいか、無理なく関わることができている。過度なカテゴライズは禁物だと自戒しつつ、それでもBrian Little先生のお話を思い出しながら、面白いほど当てはまっているなと感じる。私は相手が持っている自分とは全く異なる資質を興味深くて面白いと感じているし、私の勘違いでなければ、相手も私の態度にさほど不快感を覚えてはいないだろうと思う。すごく対照的な性格だけど、それ自体がコミュニケーションの障害になることはほとんどなく、むしろ話せば話すほど、ちょうどいい距離と関わり方が少しずつ見えてきた気がする。

当たり前のことだけど性格の違いはあって当然で、自分との違いを肯定できるか、どう捉えるかによってコミュニケーションの質が変わることを、身を以て実感している。私は相手の外向性に対して過度な警戒心や偏見を抱かないようにしているし、きっと相手も同じように私の気質に配慮して振る舞い方を調整してくれている。お互いの心遣いがあるから、大きな違いがあっても、無理なく接することができる。こんなコミュニケーションがとれるのは、ありがたいことだなと思った。