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210324

大学を卒業した。正確には、二週間ほど前に卒業している。大学を出るのは二度目だし、通信制かつ大学所在地は遠方だったので、卒業式は当然のごとく欠席した。諸々の状況を加味しても自分の卒業は特に騒ぎ立てるようなことでもないと思い、郵送で届いた卒業証書等一式を整理したことを除き、卒業の件は頭から消し去って生活してきた。ところがふと、やはり卒業という区切りは明確に意識することが大事であると思い直すに至った。だからこれを書く。

思えば卒業式は昔から苦手だった。卒業式特有の予定調和的な空気と、露骨で過剰なセンチメンタリズムに馴染めなかったからだと思う。例えば、中学の卒業式。不良仲間たちが肩でも組み出しそうな勢いで「先公、迷惑ばっかかけて悪かったな。感謝!!」みたいなことを泣きながら本気で語っていた記憶がある。それを見た私は「泣いて詫びるくらいならもう少し行動を慎めばよかったのでは…?あなたたちのせいで何度授業が中断したと思っているのか」とツッコみたくもなったけれど、そんなこと口が裂けても言えないのは百も承知していたので、毒づきたくなる気持ちは顔にも態度にも微塵も出さなかった。当時の私にとって意外だったのは、そうした不良たちの言葉に先生方も涙していたことだった。「やんちゃ」の一言では済まされない所業も多々あったはずだけど、やっぱり手のかかった子ほど可愛いものなのかな、などと考えたりした。

高校の卒業式。封建主義的でやたらと権力を振りかざしていた教員ほど涙ぐんで別れを惜しんできたりして、こちらの気持ちは冷める一方だった。もちろんここでも、口にも顔にも出さない。私が抱いた感触を表に出すと、その場の空気を損ない白けさせてしまうであろうことは、火を見るよりも明らかだったからだ。大学の卒業式のことは忘れた。ともかく、私の経験してきた卒業式は居心地の悪いものばかりだった。そこではまるで、下手な役者を集めて安っぽいドラマのワンシーンを再現させられているような気分を味わった。私の役割はせいぜいエキストラ程度だったはずだけど、それでもその場に居続けることが耐え難い苦痛であるように思われた。

だから、今回卒業式に出なくて済んで内心ホッとしていた。コロナの有無を問わず、きっと欠席していただろう。ただ、今更ながら感じているのは、たとえ安っぽい芝居じみていたとしても、一つの儀式として卒業の節目は疎かにしてはならない、ということだ。たぶん、当たり前すぎるほどにものすごく当たり前のことを書いている。でも、過去の私は明らかに儀式としての卒業が持つ意味を軽んじていて、一つの通過点くらいの認識しか持っていなかった。今はその考えを改めたいと思っているから、当たり前すぎることでも、それを言葉にする必要があるのだと思う。

何も感傷に浸ることが卒業式の本質ではない。卒業式とは内外に明示的な形で一つの区切りをつけるための場所であり、それ以前と以後とで自分自身の振る舞いや物事への眼差しを抜本的に変化させるための契機をつくることにこそ、その意味があるのだろう。そう思ったからこうして今、卒業の節目を見つめ直そうとしている。

今回の大学に在籍していた期間は2年間。いつも追い立てられるようにして課題をこなすことで精一杯だったし、ずっと弱音と泣き言ばかり吐き続けていた気がする。我ながら出来の悪い学生で、貴重な時間を十分には活かしきれなかったという反省もある。結局学友を作らずに今に至ってしまい、卒業の喜びを分かち合う相手すらいない(たぶんコロナのせいではない)。

大学で培われてきた知見や功績を軽んじるつもりは全くないし、私は日々その恩恵を受けてきたことを自覚している。それにもかかわらず、私はどうしても大学を好きになれなかった、二度とも。大学にいると、窒息しそうになってしまう。学ぶことは好きだし、一生続けたいと思うけど、恐らく私は大学に身を置くべき人間ではない。大学の側に人格があるなら、きっと「ここは君のような人間が来る場所ではない」と言い切るだろう。サッカー好きの子は無理に野球に手を出す必要はないし、それは必ずしも野球の価値を貶めることを意味しない。野球が難しいと思うなら、自分の好きなサッカーをがんばればいい。そういう話なんだと思う。

このようなわけで、正直晴れやかな気持ちとは言い難いのだけれど、何はともあれ、大学は卒業を認めてくれた。本来は卒業式を通じて為されるはずの「区切り」を、私は自分で自分に与える必要がある。心身ともにスムーズに次の段階へと進んでゆくために、それはとても大事なことなのだと思う。

だから言う。
「もう二度と大学に舞い戻ることのないように、どうぞ精進してください。卒業おめでとう。」