190304 自信

自信のなさは、あらゆるところに影を落とす。小さなものから大きなものまで、あらゆる選択と決断に、迷いを生じさせる。

私は、自分には自信がないのだと認めることすら恐ろしくて、ずっと目をそらしてきた。「なんでそんなに自信がないの?」という指摘は、直接であれ間接であれ、もう何度も受けてきたはずなのに、その時々、いつもこの素朴で単純な疑問と向き合うことができずにきた。
たぶん、「私には自信がない」ということを受け入れてしまうと、言葉にしてしまうと、完全に逃げ場を失ってしまうような気がしていたんだと思う。だから、「うまくできないことはあっても、自信がないわけじゃない。なんでみんなそうやって決めつけるの?」って突き返すことしかできなかった。

そうしていわば、虚空に対する抵抗運動(こういうのを「一人相撲」っていうのかな)を永遠と続けてきて、この前ようやく疲れ果てて立ち止まった。

ああ、私には自信がないんだって、やっと気づいた。これまでも全く知らないわけではなかったし、だからこそ小さな抵抗運動によって自らを鼓舞しようと試みてきたわけだけど、そのアプローチの仕方では、根本的な問題解決を導くことはできない。そのことを思い知った。

私が何かに取り組めないとき、二の足を踏むとき、上辺の理由とか原因とか、いくらでも後付はできるけど、結局は自信がないというごく単純な事実に落ち着く。ここに複雑な因果は一切存在しない。あれこれ分析したつもりになってても、それは自分で問題を難しくしてるだけなんだ。

「私には自信がない。で、これからどうするの?いま、何ができるの?」
これが正しいアプローチなんだと思う。この道をゆけば、今まで全く見えないと思い込んでいたものが、案外すんなりと見えてくるかもしれない。


追記(190308)
偶然読んだ記事の以下の一節が、ここで書いた内容を思い起こさせた。
自己効力感と健全な自尊心(あるいは、自己不信と自尊心の低さ)は別物。ここをごっちゃにしてたのかもしれない。

自己不信の状態というのは、自己効力感の反対だと考えられます。自己効力感というのは、自分の能力を使って、目標や望み通りの結果を達成することができると信じられることです。

私は以前、自己不信に陥るのは自尊心が低いせいだと思っていましたが、違いました。自尊心がきちんとある人も自己不信になることはあり、自尊心が低い人が常に自己不信をしているかと言えば、そうでもありません。