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211021 人と組織

急に寒くなった。そろそろスープや煮込み料理が恋しくなる季節だけど、新居のガス代は高くなりやすいと知り、何となく作るのをためらっている。IHだった頃はそのあたり割と無頓着だった。せっかく圧力鍋も持ってきたのに今はまだ使わずじまい。その代わり、炊飯器が電気圧力鍋のような役割を果たしてくれている。以前は圧力鍋で作っていた水煮大豆も、炊飯器でできることを知った。ただ、炊飯器だと以前よりも日持ちが悪くなった気がする。煮込みようが足りないのか何なのか…一度煮た後に冷凍保存ってできるのかな。作り置きが難しいとなると、市販のものと比べて経済的だと言えるのか、微妙なんだよな。これぞ一人分の難しさ。

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組織によくある問題。今私が直面している状況は、過去に経験したものと構図が似ている気がする。どこにでも転がっている、よくある話なのかなと思った。

ある組織の運営側に立つ人たちは、組織の利益追求を第一として、組織の発展と維持のために自らの行動を方向づける。他方で、何らかの縁があってその組織の構成員となった人たちは、運営陣から下りてくる組織の方針に従って行動するけれど、各個人にはそれぞれの生活と目的があり、彼らの目的意識は必ずしも組織のそれと一致しない。ここに、不和が生じる。

まず運営陣は、組織のために招き入れたはずの構成員たちが、組織の利益を主体的かつ効率的に指向しないことに不満を抱き、彼らの意識と貢献度の低さを嘆く。翻って、各々の生活と目的を損なわない範囲で組織に携わっている構成員たちは、組織への献身にもかかわらず、自らを代替が利く捨て駒程度にしか扱わない組織(運営側)に対する不信を募らせ、当然のごとく帰属意識は醸成され得ない。双方にそれぞれの言い分があり、一方の立場から見れば明らかに是と見えるものも、他方の立場に立てば、たちまち非に様変わりする。両者の主張と考えは噛み合わず、結果的に組織も人も疲弊する。

かく言う私は、しがない一人の構成員だ。はっきり言って、組織の行く末はどうでもいい。組織はどこまでも組織のためにあり、人のためには存在しないと思うからだ(少なくとも、私が所属する組織の形態においては)。組織の利益が私のそれと一致することはあり得ないし、仮にそのような事態が生じたとすれば、それは単なる組織の私物化だ。だから私は、絶対に組織に身を委ねたくない。決して身を委ねはしないけれども、組織に身を置く人とそこで関わる人たちを無下にするような言動は厳に慎みたい、と感じるのもまた事実だ。組織には興味がないけれど、人に対して適当なことはしたくない。この姿勢が結果的に組織貢献につながるなら一番望ましいし、逆に組織の不利益になる(と判断される)なら、恐らく私はその場所を去ったほうがよい。

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それで私はいつものごとく、運営側の言い分も構成員側の言い分も、どちらの言っていることも分かるような気がして頭がパンクしかけているんだけど、結局私はどうするのか。どうしたいのか。

とりあえず思いつく行動指針の一つは、組織に対する不満は、たとえ小さなものであっても口に出すのは控えること。不用意な不満はいらぬ憶測を招き、非生産的で何の利益にもならない。これまではその場の雰囲気に合わせて愚痴っぽいことを口走ってしまう瞬間があったけれど、そのような態度は控えよう。自分に変えられることなら黙って行動すればいいし、変えられないことは組織に掛け合うか、すっぱり諦める(組織に従う/から離れる)。

二つ目は、可能な範囲で双方の言い分に耳を傾けてみること。立場が違えば、見えているものも全然違う。「あなたの立っている場所からは、こんな景色が見えているのね」という気づきを、できるだけたくさん吸収する(頭が痛くならない程度に)。そうすると、たぶん自然と自分の役割と振る舞いをどう調整するのがベストなのかが分かってくる。仮にそうならなくても色々な視点を持つようになれば、次の行動へのヒントが得られるはず。

三つ目は、二項対立的な構図を信用しすぎないこと。ここでは話を分かりやすくするために「運営側」と「構成員側」という対立構造を作ったけれど、話はそこまで単純ではないだろう。各立場は一枚岩ではないし、自分も含めて多くの人は色々な考えや意見に左右されながら玉虫色の状態を保っている。言い換えると、誰にも物事の成り行きを決定的に方向づける力はない。安易な二項対立化は現状認識の歪みにもつながる。個人の意見は立場を問わず平等に、あくまでも一つの見解として聞くようにしよう。

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組織のメンバーが大勢集まる機会に対する苦手意識が強い。単純に怖い。色々な人の思惑と願望と不満と、その他諸々が言外に行き交っている状況は、とても息苦しくて耐えられなくなってしまうから。これまでは息を止めて時が過ぎるのをじっと待つばかりだったけど、もう少し良い方法を見つけられるといいな。次の機会、無事乗り切れますように。

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追記(211030)
脳内訂正。ときにはその場の空気に合わせて愚痴っぽい話に加わることも必要。世間話の延長みたいな冗長な会話は苦痛だけど、それらをバッサリ切り捨ててしまうと取りこぼすものが多い。経験上、失敗の元になりやすいことも思い出した。「無駄」話を疎かにしてはならない。ただし、愚痴は本気では言わない。あくまでも「無駄」から有用を抽出するための手段にする。そして、今のような思考回路のときは恐らく疲れているから、ちょっと休憩する。