190224 空想家

或理想主義者 
彼は彼自身の現実主義者であることに少しも疑惑を抱いたことはなかった。しかしこう云う彼自身は畢竟理想化した彼自身だった。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』より)

空想家は空想家であるがゆえに、「自分には現実がよく見えている」という優れた空想を生み出し、その空想を生きることができる。だからこの空想家は、現実を恐れない。フィクションのヒーローを地で行くことに、何のためらいもない。その振る舞いは勇猛果敢に見えなくもないので、周囲の人間は彼女を「冷徹な現実主義者」と呼び、その評判は彼女の空想をますます強固なものにする。
しかし、いずれ空想は破られる。そのとき空想家は、現実だと信じてきたものが空想に過ぎなかったことに気付かされ、ふいに鈍器で後ろ頭を殴られたがごとく、再起不能と思えるほどの衝撃に見舞われる。

最初の衝撃の後、次の段階として現実を避けるようになる。「現実だと信じてきたもの」と実際の現実とが全く異なることを受け止めるだけの、心の余裕がまだ生まれていないからだ。ただし、「現実だと信じてきたもの」が空想であることは痛いほど理解しているので、現実を恐れながらも空想に耽ることもできず、現実と空想の狭間でたゆたうことになる。

この段階を過ぎると、空想を退け、現実を生きるためには、外界に出るより他ないのだ、という当然の事実を理解するようになる。外界の刺激を受け取るたびに、現実だと誤認していた空想を一つずつ捨て、見えている世界を現実に近づけていく。その過程をはたから見れば、バカバカしくてひどく滑稽な姿に見えるだろうけれど、空想家にとっては、この道こそが最善の道なのだと思う。急がば回れというやつで、色々わからなくなったときは、とりあえず外の世界に触れて、五感を研ぎすませてその感触を確かめよう。そうすれば、空想と現実の境目が見えてくるだろうから。