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240209 今年最初に観た映画

年始、思わぬ誘いを受けて三度目の劇場鑑賞に出かけた。一度目は公開二日目、仕事終わりのレイトショー。多くの人と同様に事前知識は全くない状態で観て、完全に虚をつかれた。鑑賞後、劇場スタッフの誘導にしたがって他の人と一緒に押し流されるようにエレベーターに乗って館外に排出され、晩ごはん食べ損ねたなとか、どうでもいいことを思い浮かべながら足早に家路につく間中、頭の中はずっとぐわんぐわん揺れていた。

二度目は物語を自分なりに整理しながら受け入れるようにしてみたけれど、まだなんとも言えない気持ちに支配されている感じが強かった。そして三度目は、慣れてきたせいか不思議と物語の展開に疑問を挟む余地は感じられず、「ここでこうなったら次はこうだよね、フツウに考えたらそうなるよね」と、謎の納得感を覚えながらあっという間に終わりを迎えていたし、やっと良い映画に出会ったとき特有の感慨に浸ることができた。

解説とか解釈とかは読んでいないので分からないけれど、かなり個人的な話なのだろうということはひしひしと感じられた。最初の鑑賞後は面食らってしまっていたので、よくこの映画を劇場公開できたなという純粋な驚きが先にあった。「既に揺るぎない地位と評価が定まっている監督だからこそ、世に送り出せたのだろう。大衆を楽しませるエンタメとしての価値はあまり意識されておらず、作りたいものを好きなように表現したのだろうな。監督に興味がない人は、観てもつまらないのかもしれない」と、勝手に想像してしまった。

でも、数回観てそんな気持ちは消え失せた。監督自身にとって描かなければならない映画だったのだろうとは今も思うけれど、だからといって決して映画そのものの価値が低いわけではない。才能ある音楽家が恋を歌うと名曲が生まれるのと同じように、この映画もまた、限りなくプライベートな話にもかかわらず他者に訴えかける力は失わず、むしろ過去の作品よりも映画としての普遍性は高まっているのではないか。監督は老いて尚、「終局の語彙」を再記述し続けている人だと思ったし、塗り替えられた語彙(の表現)が持つ力に希望と救いを感じた。そのような人の優れた作品に触れ、同時代を生きられたことに感謝したい。

これまでの作品の中で一番好きな映画になったし、これから何度も観返したいと思った。でも、以前の私のように映画に過剰な期待を寄せて強すぎる思い入れが解釈を捻じ曲げてゆくような事態は避けたいし、恐らく今ならそうはならないだろうと楽観的な気分だ。ただ単純に私は良い映画に出会い、また観たいと思った。ただそれだけのことだし、それで十分だ。

それにしても、インコの役どころは見事だった。