200801 人付き合い


人付き合い全般が嫌い。一人でいる時間が好きだけど、自分だけの狭い世界に安住していたいわけではない。かといって現状に不満があるのでもなく、単純に今を前向きに変化させていくための一つのステップとして、人付き合いとかコミュニティとの関わり方を見直したい。
そう思って今後の方向性について順序立てて考えようとするんだけど、どうにもスッキリした形でまとめることができない。何か書いてみてもしっくりこなくて振り出しに戻ってしまう。今は考えるタイミングではないのかな。ぐるぐる思考が止まらない…

一応答えらしきものは見えている。私が欲しているのは、「名前のない関係」と「偶発的な会話」だ。たとえて言えば「電車で偶然乗り合わせた人に話しかけたら意外に盛り上がった」ような雰囲気。「家庭でも職場でもない、見知らぬ第三者との刹那的な、だからこそ肩の力を抜いて目の前の人とのコミュニケーションに集中できる」ような空間。

難しい顔を突き合わせて高尚な議論を展開するのでも、お酒の力を借りて無理やり「腹を割って話す」のでもなく、共通の趣味仲間と内輪ネタで盛り上がるのでもない。誰が意図して作出したものでもなく、ただ会話だけのために生まれて、時が過ぎれば自然と消えていくような場所。会話の中身は正直なんだっていいんだと思う。自分の知らない世界を生きている人が、どんな風に物事を受け止めてどのように日々を送っているのか、一人きりの想像では遠く及ばないようなものに触れるための空間がほしい。それってどこでどうやって作ればいいんだろう?

コミュニティや友だちづくりとなると、私がイメージしているものとは違う気がするんだよな。自分で思いつく範囲で色々調べてはみるものの、ピンとくるものが見つからない。かといって、自分で作ろうにも何から手をつければいいのかわからない。電車に乗って隣の人に話しかけまくるみたいなことがしたいわけじゃないし…
今はこの漠然とした感触が、私の限界なのだろう。もう少し色々と視野を拡げたりアイデアを寝かせたりして、私は結局何をどうしたいのか、よりクリアに認識できるように努力してみよう。とりあえず「新しい物事や人との出会い、つながり」について思い描く理想に近いイメージを↓に2つ残しておく。

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生まれて初めてヘビメタのコンサートに行き、最高だったわ
70代の女性
     
似た者同士が集う狭い人間関係の外へ出ようと、行く場所、会う人、食べものまで、コンピューターに無作為に選ばせるソフトを開発した米国のIT芸術家、M・ホーキンスさん。それを試した女性からのコメント。本紙3月31日朝刊beから。人の感覚にはどんな隙間があるかわからない。辛抱ばかりの人生だったわが祖母は、血まみれのプロレスのテレビ中継に噛(かじ)りついていた。(鷲田清一)
2018.5.2