190209 物語

お姉ちゃんは、私よりずっと手のかかる子どもだった。
片付けはできないし、大きな病院に通っていたし、ちょっと癇癪持ちなせいか、学校にも馴染めなくて、なんだか休みがち。5歳のとき、着替えをすまして脱いだパジャマをたたみ、保育園に送ってもらうのを待っていた私に向かって、母はこう言った。
「お姉ちゃんはいつも散らかしっぱなしなのに、あなたは何でもひとりでできて、えらいね」

父も母も、かつては「お勉強ができる子」だった。
特に親に急かされるまでもなく自主的に勉学に励み、それなりの成績を取ってくる。だから私に対しても、「勉強しなさい」なんて一度も言ったことはなかったし、「フツウに勉強していれば、フツウに良い成績くらい、とれるよね」って気持ちが、言葉にすることは決してなくても、父と母から、いつも透けて見えていた。
彼らの「フツウ」は私の「フツウ」でもあるのだと、その頃私は信じて疑わなかったから、勉強は「フツウ」にがんばった。大した関心を示されることのないオール5の成績表を持ち帰る度に、それを破り捨てたくなる衝動を、私は必死に抑えた。

私は幼少期から10年以上、ピアノのレッスンに通った。
母も子どもの頃に習い始めたけれど、指導者と反りが合わず、すぐに挫折してしまった。母はそのことをずっと悔やんでいて、私が休まずレッスンに通う姿を見ては「継続は大事なことだ」と、いつも繰り返していた。
私は今、ピアノを弾くことはない。


こういう物語が思い浮かぶと、あと付けにすぎないとか、記憶の改ざんだとか、ともかく適当な理由をつけて、見なかったことにしてきた。実際、これらの物語は「事実」ではない。記憶の断片を都合よくつなぎ合わせて拵えた、自分で自分を憐れむためのフィクションだと思う。
「事実」ではない、「本当のこと」ではない。だから、いらない、ほしくない、見なくていい。そうやって単純に割り切れたらよかったんだけど、私のなかにいる誰かが、そういう切り捨てを許してくれなくて、逆鱗に触れて反逆を食らい、あえなく私は倒れた。

物語は、別に「本物」じゃなくたっていいんだよ。だって、「物語」なんだから。ニセモノでもツギハギでも、それがギリギリのところで、私がこけないでふんばり続けるための支えになってくれるんだったら、それでいいじゃない。そうやって開き直ったうえで、物語と共存できるなら、それが一番なんじゃない?それくらい大らかに、しなやかに、物語とともに生きていけるようになりたいね。