200611 ある女性の言葉

追記(201117)
これだけでは、彼女の本意は十分に表現できていない。
もっと別の言葉が必要だ。

「女性の社会進出は良きものであり、女性は自ら、その社会的地位の向上に向けて努力邁進すべし」という啓発。もしもこれが旧来の社会が価値ありとみなしてきたもの(例えば、権力、金、名声)を最上として、女性自らもその所有・獲得を目指せ、という考えを内包しているならば、私はこれに賛同できない。

即ち、社会的な地位を希求することが、旧来の(「健康で力のある男性」による「健康で力のある男性」だけのための)社会的価値意識への迎合を意味するならば、私はそれに与したくない。男性社会への適応と追従を以て「女性の社会的地位が向上した、女性がより良く生きやすくなった」などと、言ってほしくはない。

たとえ旧来「女性の役割」とみなされてきたものが、外圧によって女性に強いられたものであったとしても、その制約のなかで必死に生き抜いぬいてきた女性たちの生き様と、そこで生み出されてきた数々の知恵、それらを軽んじてよいなどとは、決して思わない。連綿と受け継がれてきた彼女たちの知恵と功績が私たちの目に見えにくいのは、単にそれを功績と呼ぼうとする「偉い人」が存在しなかった、ただそれだけのことである。

明文化されてきたもののみに価値を見出す世界は、貧しい。
「社会」が「価値」を「認めた」ものだけが尊いだなんて、虚しい。
「見えないからそこにはなかった」なんて、私は言いたくない。

目指されるべきは常に、すべての人にとって生きよい社会であり、見直されるべきはいつも、「価値とは何か」を定める、そのものさしである。


…と、まあ私はそう思うけど、旧来社会の行動原理に従う人たちからは、何を寝ぼけたことを、って笑われるかもしれない。でも、その人たちが誰一人見向きもしてくれなかったとしても、私は全然構わないよ。だって私は、認められたり、名誉や勲章が欲しくて、こんなこと言ってる訳じゃないから。自分の主張が評価されて、お金や権威みたいな結果を手に入れることを望んでる訳でもないから。

私は、私の目指すところを知っている。それだけでもう、十分なんだよ。