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230805

暑さのせいか、イライラ?している。はっきりと怒りを感じるわけではないけれど、ウンザリ、呆れる気持ちを抱いてしまうことが多い。

以前は他人の仕事上の欠点は特に気にならなかった。自分のできていないところをできるようにするにはどうすればいいか、それを考えたりやってみたりすることで精一杯だったからではないかと思う。私がやっていることに専門性は必要ない。家事みたいなもので、個々のことはやろうと思えば大体誰にでもできるだろう。問題は、あらゆる余裕のない状況の中で、それらをどのように優先順位付けて、過不足なくどう効率的にこなしてゆくのかというところにある。

以前は同じミスを繰り返したり、見落としに気づいたりして自己嫌悪に陥ることが多かった。恐らく最近は、手持ちの個々の業務の全体像が把握できるようになり、それらをこなすための自分の中での最適解が見えてきたのではないかと思う。

だから、それ故に、自分で見出した最適解からはずれる行動をとる他人に苛立ってしまうのではないか、と一先ず考えてみた。ひどく傲慢な話だとは思う。心の狭さが悲しくなるけれど、事実だからしょうがない。他人の動き方(の鈍さ)が自分には理解できなくて、他人を理解できないというごく当たり前の事実に私は苛立っている。これは、疲れているからという理由で済ませていいことなのか?


自分を一番の役立たず(白紙の状態から学ぶ必要がある、すべてにおいて素人)のポジションに置ける時期が終わってしまった。正解のない状態から、自分にとっての正解が固まった状態へと移行しつつある。仕事のやり方が違う人間がいるのは当然なんだけど、その人達とぶつかることなく、自分のやるべきことを遂行するにはどうすればいいんだろう。

今まではできていない、終わっていないことに気づいたらそれはすべて自分の業務としてその瞬間にこなすことを徹底してきたけれど、今後もそれを続けていると独り相撲の徒労感に耐えられなくなりそうな気がしてきた。かといって、私にとっての最適解からズレていることを理由に、他人を無理に動かすようなこともしたくない。職務に対するやる気とか責任感とかは個人によって違うだろうし、賃金以上のがんばり、熱意みたいなものを期待するようなこともしたくもない。やる気がないならないで、そういう働き方を選ぶのも個人の自由だと思うからだ。

それで、私は一体どうすればいいんだろう。私は何を大事にしたくて、これからどうしたいんだろう。会社への貢献意欲は特にないし、遠くない未来にこの場を去ることになるだろうとも思っている。それにもかかわらず、私は何がこんなにも引っかかっているのか。


いわゆる「社畜」的な働き方への抵抗が薄いような気はするし、身を粉にして何かのために働いて死ねるなら本望とさえ思う。たとえその何かが、恐ろしく下らない代物だったとしても。「やるべきこと」がはっきりしている状態はある意味とても楽で、あとは自分の心身が朽ち果てるまでそれらを成し遂げ続ければいいだけだ。疑問を差し挟む余地のない状態には、ある種の安心感がある。やっぱり少し疲れているのか。

過ぎ去ることは怖いし、さっさと過ぎ去ってくれとも思う。
明日はどうなることやら。