200710 相容れないコミュニティ観について

過去の読書メモを読み返して、これを書き留めておこうと思い立った。

数年前まで、現在ちょうど70歳前後の「文化人」と呼ばれる方々の著作物を、割と熱心に読んでいた。その方々の知識見識から学ぶところは絶えず文章の中に転がっていたし、たくさん勉強させてもらってきた。
それがある時期から距離を置くようになり、現在はほとんど流し読む程度になった。無論今でもあらゆる意味で到底足元にも及ばない人たちだし、たまにお話を見聞きして、相変わらず心服させられることも少なくない。

距離を置かざるを得なくなったのは、彼らの視点のうち、人と人との関わり方に対する考え方=コミュニティ観だけは、決定的に共有することができないという事態に、私が打ちのめされてしまったからだ。
たまたま自分が触れてきた人々を一括にして世代論で片付けるのはよくないし、そもそもこの世代の方がどのような時代を生きてこられたのかについて、私は多くのことを知らない。ただ、少なくとも私がお世話になった方々のコミュニティ観は、似通ったものであったように思う。

それは、「日本のコミュニティにおける牧歌的な原風景」とでも言えばよいだろうか。隣近所との間で、持ちつ持たれつの互助的関係がまだ十分に機能しており、良くも悪くも人と人が濃密にしがらみあいながら形成された村や街について、彼らは郷愁の念を抱きつつ、その温かさと偉大さを語ろうとする。
そうした価値観は、直接に語られることもあれば、様々な世事に対する自説を披露する中で、常にその根底にあるものとして浮かび上がってくることもある。いずれにせよ、彼らの言葉から最終的にいつも私が受け取らざるをえなかったのは、「自立などというものは幻想であって、人と人は支え合って生きていくものであり、またそうあるべきである」というメッセージだった。

残念ながら私の記憶の中には、彼らのいうような「原風景」はない。立派な田舎育ちだけど、幼少期には既に地縁的なつながりは廃れていたし、家庭環境的にも地域行事やお祭りなどとは縁遠い生活を送ってきた。「故郷」に対する思い入れはなく、地域の中で人との関わりを育むことも、経験してこなかった。

だから私には、どうしても「原風景」的世界がわからない。想像することすら難しいにもかかわらず、私に多くの学びをもたらした人々は、「『原風景』こそ、日本において再び取り戻されるべき理想のコミュニティである」という価値観を共有しておられる。彼らの言説に触れれば触れるほど、現実に対する自分の正直な感触と、彼らが理想とするものとの隔たりの大きさを痛感するようになり、私は次第に彼らの言葉から離れざるを得なくなってしまった。私は彼らの言葉から、自分の現在と未来を形作るためのヒントと活力を見いだすことができなかったのだ。

それから数年が経ち、私は今、彼らのコミュニティ観と真っ向から対立する世界を生きつつあるような気がしている。雑な見方をすれば、私はそれだけ欧米的な価値観に晒されて、それを迷いなく自分のものとして受け入れて育ち、生きてきたということなのだろうか。
私は日本の片田舎に生きながらにして、寿司といえばカリフォルニアロールしか食べたことのない、価値観だけは〈欧米的なもの〉の余滴を吸って生きてきた人間なのかもしれない。「いやいや君、日本の寿司ってものはね、本来…(うんたらかんたら)…」と言われても、いまいちピンとこないんだ。食べたことないから。

言うまでもなく、彼らが理想とする「原風景」と私が生きている現実と、どちらが正しいかと問うのは無意味なことだ。世界も、日本も、地域社会も、そこに暮らす人々も、常に変化し続けている。それに、大風呂敷を広げて社会や世代を論じるようなこともしたくない。けれど、違う世代の方々の眼差しや感触と自分自身のそれとを比較しつつ、自分は今どんな時代に身を置いているのか、そこで何を感じ行動するか、そういう社会や環境の手触りを確かめながら生きたいと思った。

人はみな、時代の子。