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230505

削れていく感じがし始めたから、潮時だと思った。バイタリティが乏しくて疲れを感じやすい質なのは前から自覚していた。ほとんど常に疲れていて、必要な休息を確保することだけに休日が費やされる。それが正しいことなのかなんて考える余裕もなかったけれど、今はだましだましでも目の前のことを何とかこなしていくことが大事だと、最近まではそう思うようにしていた。

今していることには意義を見出だせるし、尊い瞬間に触れ、そこに居られることに幸せと感謝を感じるのは事実だ。だけど、私のキャパシティを超えていると思う部分もたくさんあって、この生活をずっと続けるのは難しいだろうとも感じてきた。先日ついにもう限界だと心の中で区切りをつけて、今に至る。

私が感じる疲れは物理的な拘束時間とか体力的な問題が半分、もう半分(もしくは大半)は、精神的なものだと思う。具体的に何にそんなに疲れるのかと聞かれても、どう説明すればいいのかよく分からない。ただただ、疲れている。

疲れていると、映画も音楽も楽しめなくなる。私が映画や音楽を好きで楽しいと思うのは、それらが感性を刺激して新しい視野を与えてくれるからなんだけど、疲れているとそういうことに心を用いる元気が湧いてこない。「映画を見れば疲れが吹き飛ぶ!」みたいな好きの方向性だったらよかったのにと思ったりもしたけど、私の疲れは大体1か100のどちらかで、疲労感は私の生活からいとも簡単に彩りを奪ってしまう。だから、頭を空っぽにしててもできる趣味が欲しいなと思った。毛玉取りが好きなのは、疲れている場面で役立つ気がした。

区切りが必要だという判断に揺らぎはないものの、特段今後のプランがあるわけでもない。今は新しいことを始める気力もあまりないから、とりあえず身辺整理をしている。少し長い休みができると、大体部屋を片付けたくなる。外の世界との関わりの中では自己コントロールに難しさを感じやすいから、せめて部屋(自分の持ち物と生活環境)の中では、自分で自分をコントロールしている気分を味わいたいのかもしれない。整理することへの欲求は、そこに由来するような気がした。

全般的に環境を変えていけば、きっと気分も変わるだろう。今はあまり想像できなくても。悲観はしていない、でも明るい絵を描ける気もしない。以前は少なくとも数ヶ月に一度は何かをきっかけとして、これが確かだと思えるものの断片を目にしていた気がするけれど、今はただ流されているだけだ。流れに身を任せて何が大事なのかもよく分からなくて、ただ疲れている。

じゃあ、十分な休息をとって疲れがとれたら、また見えるようになるのかな。感じとれるようになるのかな。私はこれから先どこで何をすることになったとしても、目の前の生活のことで精一杯で何となくいつも疲れたままになるんじゃないかって心配している。こんな未来予想には意味がないどころか悪影響でしかないことは、頭ではちゃんと分かっているはずなのに。

あんまり元気とは言えないけど、色々整理してスッキリして、次を見据えた準備は少しずつ進められていると思うし、今はそれで良しとしたい。クリアな未来が描けなくても、ぼちぼち歩いてたら何とかなる気がする。そんな気がするだけでも、十分だと思う。