190921 サーフィン

わたしは常に「よくわからないもの」に突き動かされている。
ひらめきも行動も、落ち込みも不安も、よくよく考えてみても、どうしてそんなことをしようと思ったのか、なぜそういう感情に飲み込まれたのか、結局のところ自分でもよくわからない。いつもその調子だ。

行動や感情の原因がよくわからないことの一番の難点は、自分の調子の変化を予測できないことだ。ものすごく能動的に何かに取り組めたり、逆に特別の事情もなく漠然とした不安に悩まされたり、そういう一つ一つの浮き沈みが、どういう過程を経て生まれたのかがわからないから、良いことも悪いことも受け身でやり過ごすしかない、ということになる。自己コントロール感が極めて乏しいのだ。

これはずっと克服を望み続けてきた課題のような気がする。なんとか変化の振れ幅を小さくして安定感をあげたい、つまり自分で自分の舵取りができているという感覚を養い、行動面でもそれを実践できるようになりたい、と思い続けてきた。だから、そのためのヒントを得られそうな自己理解ツールや手法に大きな関心を寄せてきたのだろう。

だけど、これまでも薄々感づいていたように、「自己を理解し、制御する」という方向のアプローチが実を結ぶのは、あくまでも個別の事案レベルに過ぎなくて、トータルで見た生活のあり方を改変してくれることは、今までもこれからもきっとあり得ないと思う。
なぜなら、今まさにこのように思っていることの根拠をはっきりと説明する術を持たないのと同様に、私は私について説明する言葉を持たない人間なのだということが、徐々にわかってきたからだ。

わたしの場合、自己コントロール力を培う方向の努力は、海を支配したいという無謀な欲に従うに等しいことなのだろう。潮の満ち引きを自在に操りたいとか、そもそも波立たせたくない、湖のように静かであってほしいとか、そういう無茶な期待と要求を、自分に向け続けていたのかもしれない。それが叶わぬ望みであり、叶わぬ以上はその望みを持ち続けても苦しみが募るだけだということは、今ならよくわかる。
そして、その他のあらゆる物事と同様に、わたしはそれがわかるということを知っているけれど、なぜそれがわかるかについては知らないし、知る術を持たない。

私が学ぶべきこと、意識を向けるべきことはむしろ、優れたサーファーが持つ技術を体得することなんだろう。リアルなサーフィンがどんなものなのか私は全く知らないけれど、「波にのる」「自然と自分を同期させる」というイメージがとてもしっくりくる気がして、こう表現することにした。

調子の良いときに「この状態がもっと続けばいいのに」と欲を出す(=コントロールしようとする)と、目の前の物事に集中する力が削がれて、結果的に調子は落ちていく。波は寄せては消え行くもの、一つの波に固執してはならない。
逆に調子の悪いときに「もっと良い状態に変えたい」と欲する(=コントロールしようとする)と、現在への不満がストレスと化し、ますます調子が悪くなる。荒波に抗うと怪我をする、波に楯突いてはならない。

だから、私は良きサーファーになりたい。自分がサーフィンをしている姿は全く想像できないけど、いつか体験してみたい…?