220517

美しくなければ、可愛げもない。賢くもなければ、バカになりきれるわけでもない。何事かを成すのでもなく、何者にもなれずに嘆くのでもない。子どもの頃、一番なりたくなかった大人の姿に似ている。

くだらない愚痴をこぼし、人の些細なミスに不満をつのらせ、自分の都合が通らなければ機嫌を損ねる。そんな「小さな」人間には決してなるまいと固く誓っていたはずなのに、鏡を見ればそこに映るのは紛うことなき小さな人間だ。

日々暴かれる小ささに比べ、大きすぎる期待は一向に鳴りを潜める気配がない。私は自分への失望を捨てきれない。期待に応えることのできない自分の小ささを、許してあげることができない。許してしまわないようにすることだけが、私の支えになっている。だったら期待に応えられるように少しでも足掻いてみればいいものを、それをするだけの気力と野心は見当たらない。小ささを認めれば凡庸(多数派)になる。凡庸になれば、私は私の居場所だと思っていた場所(少数派)を失う。だから、失望を捨てないことを唯一の頼りとして、私は私を保とうとしている。己の小ささに気づきながら、それに見合わないプライドの高さが、小ささを人と分かち合い、笑い飛ばすことの邪魔をする。凡庸に紛れながら凡庸に振る舞いきれず、凡庸に留まることを拒んでいる。このお高くとまった態度が、我ながら鼻につく。

未だに色々なことがよく分からなくなる。今度こそ間違いなく掴んだと確信を抱いても、いつの間にかまたするりと手中からこぼれ落ちてしまう。いつになったら分かるようになるんだろう。きっと死ぬまで分からないままだろうというのが一番確かな答えに思えるけれど、その途方もなさにうんざりする。常に「分かる」という安心感を渇望しているくせに、ここで「分かった」と区切りをつけることができない。分からなさの中で永遠にうごめいているだけなのかと思うと、反吐が出る。

人としてのつまらなさに苛立ちを感じ始めている。こんなに嫌な人間だったっけ。自分で気づいていなかっただけなのか、知らずしらずのうちにこうなってしまったのか。純粋でなければ、気高くもない。信念もなければ、守るべきものもない。何かがあるわけでも、何にもないわけでもない。この耐え難さから、どうして抜け出せようか。