200319 いわゆる「恋」と「愛」
追記(200607)
自分で嫌になって一度消したノート。この癖なかなか治せない。今も読み返すと違和感あるんだろうけど、いつか振り返って考え方の変化をきちんと検証できるように、すぐリセットしたがる癖にも抗うために、もう一度書き残しておこう。
プレ婚活のメモを書いているうちに、昨年読んだ記事のことを思い出した。もう一度読み返してみたけど、おっしゃる通りだなという感想しか湧いてこない。
私にとって「恋」は奢侈品であり、自分にはまるで縁のない他人事くらいに思っている。ハイブランド商品がそうであるように、一部のお金持ちがエンターテイメントとして楽しむためのある種の道楽であり、一般人が無理に手を出してもどこかチグハグな感じになってしまうもの、何より自分を疲れさせるもの。だから基本的に自分には関係がないし、安易に近づけるようなものではない。そういう感覚に近い。一つのファンタジーとして周縁から眺める分には楽しいと思うこともあるけれど、どこまでいっても決して自分事にはならないだろうなと思う。
私が人との親密な関わりに求めているものは、安心と信頼。少しずつ互いに歩み寄り、理解を深め合いながら、恩恵を分かち合い、苦難を共に乗り越えていけるような強い結びつきを、地道に築き上げていくこと。よくある対比になぞらえるなら、「恋」は割とどうでもよくて、何より大切なのは、将来的に「愛」を育んでいけること、その可能性を見いだせることだと思っている。
今回試しに婚活っぽいことをやってみたけれど、自分でも意外なほど冷静に「頭」を使って行動しているなと思う。ここには「恋」の欠片も見当たらないし、ロマンも何もない。(婚活という場面で、これは別に驚くべきことではないのだろうけれど)
もちろん、相手を不快にさせていないだろうか、十分に配慮できているだろうか等々、色々と不安になったり緊張したりすることはたくさんある。それでも、変に気持ちを盛り上げたり、「いい雰囲気」みたいなものを作出したりといった努力の必要性を、まるで感じていない。それはひとえに私が「恋」をする気がなく、「愛」の素地を見いだせるか否か、将来安心を与え合う関係となりうるかどうかという点だけに意識を向けているからだろう。
「隣人愛」ともいうように、究極的には誰に対しても分け隔てなく「愛」を表現できるようになることが望ましいとは思う。けれど、それを志すにしても、現在の私が聖人とは程遠い、多くの欠陥を抱えたただの人である以上、「愛」に向けた一歩は、馴染みのあるごく限られた領域から始めることしかできない。つまり、長い時間を共に過ごすことのできる相手はある程度限られるという事実を、まずは受け止めなければならないと思っている。だからこそ、関係の初期の段階で出来るだけ相性を見極めたいと思うし、想定可能なリスクを回避するために、ロジカルに思考する態度も辞さない。
冒頭のブログを再び思い起こすなら、このような私も資本主義の精神を深く内面化し、「恋」が敗れた「取引」の原理に基づいて行動する人間の一人ということになるのだろうか。これまでスペックで値踏みし合うだけの関係性は避けたいと思ってきたけれど、自分でも気づかないうちに、そのように振る舞っている可能性は否定できない。けれど、「恋」に夢を見るよりは「愛」の可能性のために今できることを頑張りたいという気持ちに迷いはないし、それを特別悲しいこととも思わない。『愛するということ』でエーリッヒ・フロムが指摘したように、もしも「愛」が修練によって学びうる技術であるならば、それは私にとって希望であり、救いなのだ。
追記(同日 200319)
婚活における努力は、受験勉強(自分の経験)に似てるのかなと思った。入試本番一発勝負、たった一回の試験でベストパフォーマンスを発揮するために、たくさんの時間を費やして必死に勉強する。そのくせ晴れて合格・入学した後、新たな学び舎で自分がどんな生活を送ることになるのか、私はほとんどわかっていなかった。
婚活も同様、とりあえずがんばった結果、「結婚」という一つのゴールにたどり着けたとしても、言うまでもなくそこはスタート地点であって、その後の生活の中でどんな出来事を経験することになるのか、私は知る由もない。死に物狂いで勉強したのに、いざ入学してみたら全然イメージと違った、こんなはずじゃなかったのにってことは十分ありうるし、私は既に経験済みだ。十代の私は「夢」を打ち砕かれて大層落ち込んだけれど、さすがに今はもう、そういう「夢」にすがりつく気はない。
入学後に失敗したなと思っても、別の大学を受け直したり、中退して他分野で新たな目標を立てたり、とりあえずで1年だけがんばってみたり、そうやって自分なりに軌道修正していければいいなと思う。要するに、人事を尽くして天命を待とう、ということかな。少なくとも今大事だと思うのは、大学の良し悪しを他人のものさしで測らないこと。偏差値や世間的な評判が私にとってベストな場所を教えてくれるわけじゃないし、なんなら大学進学そのものが私には必要のない代物だという可能性もある。だからこそ、自分の頭をフルに働かせて、主体的に基準を定めよう。そして、自分で定めた目標に対して、真摯に努力しよう。