200318 疲労

ここ二ヶ月、試験や授業の都合で外泊を伴う遠出が三度あった。ちょうど新型ウイルスの世界的な流行拡大と時を同じくする形となり、とてつもなく気が進まない中で、やむを得ない遠出が度重なることになった。

不幸中の幸いというべきは、滞りなく予定を消化できたことだろう。けれど、ただでさえ根っからのインドア人間なのに、こんな時期に不慣れな外出が続いたせいか、すべての予定を終えた後、自分で覚悟していた以上の疲労とストレスに見舞われ、身動きがとれなくなってしまった。

本来ならば、こういう疲れ方は避けたいところだ。今まさに経験しているように、回復するのにすごく時間がかかってしまうから。他方で、こういう予定にも適切に対処できるようにならなければ、という気持ちもある。これくらいで一々疲れているようでは何もできないじゃないか、と。とりあえずもっと体力をつけなければという日常への反省は、今後に活かしたい。

少し元気になってきたから、これほどまでに疲れ果てた経験とその理由について、少し振り返っておこうと思う。

1.文章によるストレス解消について

元気なとき、私は何かを書こうとはしない。目の前の課題を精力的にこなすことに全力を投じていて、それ以上の何かを望むことがないから。少し元気を失っているとき(今)は、こうして書くことがデトックスとなり、頭の中がすっきりした状態で次の行動に移るための準備体操ができる。

でも、心の底から疲れ切ってしまうと、もはやパソコンを開いたりペンを握ったりする気力すら湧いてこず、ひたすら無意味な時間を過ごすことになる。回復するために必要だという点で「無意味」ではないのだろうけど、それでも、本当はもっと動きたいのに動けないという無力感のなかで、ただ時が過ぎるのを待つ羽目になる。そうせざるを得ないこと自体が情けなくて自己嫌悪に苛まれ、負のスパイラルに突入する。だからこそ、今回経験したような疲れ方は、可能な限り避けたいと思う。そのために今の私にできることって、なんだろう?
    ↓
・体力をつける(日常的な運動、筋力UP、健康管理)
・(気兼ねや遠慮のせいで)予定を詰め込みすぎる事態を避ける
・予定が重なったときは、疲労を見越して予め対策を立てておく

2.勉強が苦痛でしかないことについて

勉強を通じて空間を共有する多くの人と目標が異なっていて、しかも私の方が低いハードルであるにもかかわらずモチベーションを維持できていないことについて、私は引け目を感じている。だから積極的に関係構築に乗り出せないし、同じレベルや目線で勉強の方法や悩みを共有できる人を見つけることができず、そこに辛さを感じている。
勉強を始める前までは、昔から自分は一人で勉強してきたし、孤独を嘆くことなどまずないだろうと高をくくっていた。なんて甘い見通しだったんだろう。昔と今のあらゆる面での違いを、日々痛感する。色々痛ましいけど、今を受け入れて前を向くしかない。

志を共有できる人がいないことだけが苦痛の原因ではない、ということにも気づいている。そもそも自分の「志」なるものが、あやふやなんだ。私は今していること(勉強)の先にあるものを信じきれていない。この苦行に耐えた結果、自分に何が身につくのか、それをどう活かせるのか、うまく思い描くことができない。明確なビジョンを持たないまま、流されるようにして、ただ目の前の課題を消化しているだけ。
昔学生をしていたときも、似たようなこと考えていた気がするな。おそらく絶望的に大学教育への野心と適応力が乏しいのに、なぜか自らこの場所に戻ってきてしまっている。不思議なめぐり合わせだな…

ともかくこの先野垂れ死にしないためにできることなら、今はなんだって受け入れていかなきゃならない。面白くなくても先が見えなくても、もうこれ以上先延ばしにできることなんて何もない。見えないなら描く努力をして、不十分なら十分にする方法を探して、そうしてやりくりするしかない。思い詰めて動けなくならない程度に自分を鼓舞して、嫌々ながら、適当にごまかしながらでも、自分を前に推し進めていくしかない。

大したことは何にもしてないのに、私はなんでこんなに疲れてるのかな。疲れているというより、色々わからないことが多すぎてフリーズしてる…?