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240715

子どもの頃から誰かの何気ない一言を重く受け止めて、一人で激しく落ち込んでしばらく引きずってしまうことが何度もあった。

新卒で入った会社がハラスメントの巣窟みたいなところで、世間知らずだった私は当時打ちのめされていた。意を決して母に相談したときの反応がとにかく辛くて、心をえぐられたような深い悲しみと孤独感を覚えた。当時はなかなか立ち直れなかったし、それ以来自分の辛さや悩みを母に話すことはなくなった。母は悪い人ではなくて恐らく彼女の感覚の方が「ふつう」なのは理解しているつもりだけど、自分のいわゆる「本音」の部分は悪気なく踏み潰されてしまいそうな気がして、どうしても怖くて隠してしまう。一定の距離さえあれば何事もなく穏やかに関わることができるから、ずっとそうしてきた。

最近はそういう自分の弱さをあまり意識していなかったけれど、先日も些細な一言にショックを受けて思い悩んでしまう日があった。後日、勇気を出して相手に自分の心境を伝えて、相手はどんな考えなのかを聞いてみたら、ざっくり言うと「なんでそんなに気にしているのかよく分からない」という反応が返ってきて、自分が強く感じていることはほとんど伝わらないんだなと改めて気づかされて、さらに落ち込むことになった。予定を詰め込みすぎて元々疲弊気味だったこともあり、一日中理由もわからず涙が止まらなくなって自分でもびっくりしたし、これはまずいなと思ってオンラインカウンセリングを受けた。以前から何度か利用したことがあり、気づけば定期的に受けているような気がする。本当は担当の人を一人決めて、自分のコンディションを問わず数ヶ月おきとかで受けれたらいいんだろうけど、私にとっては気軽に支払える金額ではないので、結果的に「もう無理、助けて」みたいな状態になって慌てて予約する感じになっている。

オンラインでありがたいのは、開始時間前の割とギリギリまで予約を受け付けてくれるので、私のように行き当たりばったりな感じでも利用できるところだと思う。それにしても、振り返ってみて結局定期利用しているのなら、そろそろちゃんと先々の予約もとっていった方がいいのだろうかと思い始めた(心が折れそうなほど余裕がなくなる前に)。そのときのタイミングで予約できる人(毎回別の人)にお願いしてきたけれど、今回はとても助けられて相性のよい方だった気がするので、そんなことも考え出した。

ここでの私の困りごとは「身近な人の言葉を受け入れられなくて悲しい、辛い」なので、この件について別の身近な人に相談する気持ちにどうしてもなれない。身近な人(家族や親類、友だちなど)はただでさえ少ないし、何よりも落ち込んでいるときは自分の感情に振り回されているので「また同じような言葉が返ってきて悲しくなったらどうしよう」という不安がある。他方で、金銭を介した第三者は、少なくとも攻撃されたり軽くあしらわれたりはしないだろうという安心感がある。

これまで経験や資格を持った色々なカウンセラーさんに対応してもらってきたけれど、当然専門性の中身や方向性には違いがあるし、人間なので合う合わないもある(私は「プロがこんな話し方で大丈夫なの?」とちょっと驚いた方でも、利用者の人気は高かったりする)。なので私はカウンセリングの技術やその成果を期待しているというよりも、一定の配慮を期待できる第三者に安心料を払っている感覚だ。もちろん、身近な信頼できる人に相談できるに越したことはないと思っているけれど、私にはもう少し経験と時間が必要な気がする。

自分が落ち込んでいる出来事について「なんでそんな風に捉えるの?」とか「大したことないでしょ」みたいに返されると、さらに落ち込んでしまう。なんとなく相手は全く気にしていないんだろうなという想像はできるけど、かといって悲しみの感情が消えるわけではない。どうしてこんなに重く受け止めてしまうのかなんて、私が一番知りたい。物心ついたときにはすでにこんな感じだったし、年齢や経験とともに強くなっているのかも正直よく分からない。普段は耐性がついたふりができても、今回みたいにダメなときはとことんダメになる。

今自分の中で暴走していて制御しがたいこの気持ちは、目の前の相手には全然伝わらないんだなという実感が、苦しさに追い打ちをかける。他人と自分の考えが異なるのはごく当たり前のことなのに、それをこんなにも悲しく感じるなんて、自分がとても幼稚に思えてくる。どうして私はいつもこんな調子なんだろう。

数年前までは人間関係からひたすら逃げていたので、その点で成長速度が遅いと言えるのかもしれない。他人の言葉はそれほど引きずらないけど、身近な人の言葉ほど傷ついて落ち込む。要はその分、相手に期待があるんだろう。自分が親しみと信頼を感じている人から思いがけない言葉が返ってくると悲しくて辛いし、自分の思っていることを言いづらくなる。相手とのコミュニケーションの中で自衛の意識が強くなって、だんだん気持ちが遠のいていく感覚に陥る。相手が悪いわけではないのは百も承知だけど、自分の反応を変えることも難しくて、だったら最初から離れた場所にいた方がお互いのためになるんじゃないか。それに、情緒不安定な人(だから信頼に欠ける)と思われるのも怖くて、自分の感情の浮き沈みを悟られたくない。私の思考回路は大体こんな流れで、結局人との距離を縮めることなく生きていた。

久しぶりに激しく落ち込んで相変わらずだなと思ったし、忙しさに任せてなんとなく見ないふりをしていたもう一人の自分が怒って反撃してきた気分だ。私にはめんどくさくて厄介なところがある。まずは自分でその事実を受け止め直して、自分で自分の面倒を見てあげなきゃいけない。そうしないと、結局周りの人との関係がうまくいかなくなる。私が他者の言葉に過剰に振り回されるのは、面倒な自分を無視しているときなのかもしれない。自己受容→自信がつくと、影響を受けすぎることも減るんじゃないかな。

そのためには心の余裕が必要だということも理解した。特に仕事の取り組み方は見直さなきゃいけないなと思った。自分で気づいている以上に過去の負い目は今の自分を追い詰めていて、常に120%くらいで頑張らないと人並みになれないような感覚が強かった。今みたいな働き方は何年も続けられるものじゃないってことをきちんと自覚して、持続可能な働き方にシフトしていく必要がある。

あと、疲れすぎると好きなものも楽しいことも分からなくなったりどうでもよくなってしまうから危険だなと思った。やらなきゃいけないことをこなすためにどうしてもネガティブな感情を避けたい状況では、心を無にして一定の状態を保とうとするので、ポジティブな方向の気持ちの揺れまで排除してしまう。そうすると心の栄養源を見失ってしまうので、少しでも余裕のあるときに行きたい場所とかやってみたいことをメモして、いつでも思い出せるところに置いておこうと思った。

昨日は久しぶりに心を掴まれる曲に出会えた。
しあわせだな。