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240623

私は親より稼げない仕事に就いた。成人してから割と長い期間親の脛をかじって生きながらえてきたので、今も借金を返せていない状態だと思っている。金額を見定めて完済したら事が片付く、という類のものとは思えず、それに大した経済力もないから、結局親が生きている間に少しずつ返していくしかないのかなと思う。

親は返済しろとは言わないし、何なら今でも何かと理由をつけて金品を与えようとしてくる。年金生活者だけど過去の蓄積を含めて私よりよっぽど余裕があって、生活水準も高い。自分自身の経済生活については、これまでの自分の選択の結果だから、納得できようとできまいと、それを自分にとっての「普通」にしていくことが大事だと思っている。特に不満はないし、自分の手元にあるものの中で身の丈にあった楽しみを見出していくことができればそれで十分だと、痩せ我慢じゃなくて、心からそう思ってきた。

でも、親があれこれ与えようとしてくるたびに、複雑な気持ちになってしまう。理由の一つは、親より稼げない生き方を選んだことを親に対して申し訳なく感じてしまうからだ。私は私の生活に満足できても、親目線で子(私)を見たときに、おそらく経済的に貧しい人間に見えるんだと思う。だからあれこれ心配してくるし、与えたがる。親の言動からそういう心理が見え隠れしているから、子の立場として、情けなさ、不甲斐なさを感じてしまう。

他方で、そうした親の振る舞いに怒りを覚える自分もいる。私は親とは異なる経済観念を作ってその中で幸せを見出そうとしているのに、そこに土足で踏み込んできて自分たちの観念を押し付けようとする。憐れみだか施しだか知らないけど、「親心」の大義名分のもと良かれと思ってしていることなら許されるくらいの態度をとられると、反抗心が湧いてとてもじゃないけど受け取る気になれない。一人の人間と見なされていない気がするし、私個人の価値観を踏みにじられているような気分になる。

子として感じるある種の申し訳なさと、一個人としての生き方を守りたい気持ちが両方あるせいで、最近モヤモヤしてしまうことが多い。後者の自立心は余計なプライドに過ぎないと言われたことがある。妙なプライドにこだわらず、くれるものは素直に受け取ればいいじゃないかと言われたけど、どうしてもそんな気になれない。

親に対する負い目、経済観念の違い、今直面している生活上の課題とが相まって、頭の中がすごくごちゃごちゃしている。時折親の言動に腹が立って「こと金銭感覚に関して、彼らは子育てに失敗した。それなのになんの学びもなく、相変わらず同じ失敗を繰り返そうとしている」と責め立てる言葉が頭の中に湧いてくる。冷静に振り返ると、他責的・自己否定的な考えだし、不合理だと分かっているんだけど、そういう思考回路になってしまう瞬間は事実としてある。こういう場面があると、親からの精神的な自立がまだまだ不十分なんだろうなと痛感させられる。

今のところ今後の方向性としては、今まで以上に距離をとるようにして自分のペースを守ることに集中したいと思っている。これまでと同様、親の「厚意」を受け取らない場面も出てくるだろうけれど、そこで罪悪感を覚えないようにしよう。ここに第三者が絡むから余計に私は混乱して迷い始めてしまうんだけど、今後は具体的な文脈の中で一つずつ整理して、自分自身の課題だけに集中するよう努めたい。親は他人。