200908 人付き合い4

外に目を向けなければと思って散々右往左往した挙げ句、結局マッチングアプリに戻ってきてしまった。なんとも凡庸な末路。発想力の限界、敗北。

例えば、某大手のコミュニティ機能、プロフィールの基本項目、他社を含めて身分証明の提出が標準装備になっているところなど、出会いの入り口の設計としては非常によくできていると感じる。だけど、何かが違う…いいねくれた人や居住地域が近い人のプロフィールを一定数、しっかり真剣に読み込んでみたけど、直感的に会って話をしてみたいと思う人は一人もいないし、文面から推し量れる範囲で一番男前だと思うのは、自分なんだよな(「男前」は言葉が違うな。具体的な行動に出るまでの決断の速さ?)。

遠方に住んでいる人で読んだ瞬間に「この人おもしろい!」と思うことは何度かあったけど、あくまでも「この方に良い出会いがありますように、幸あれ」みたいな感情で、別に必ずしも自分との接点を作りたいとは思えない。すごく面白いと感じた人の「いいね数」があまりに少なくて、なんで?という単純な疑問とエールを送る気持ちでいいねしたことはある。遠方の人で諸々の条件的にもマッチはしないだろうなと思っていたし、案の定そうなった。たぶん、この「いいね」の使い方はちょっと間違っているんだろうとも思う。

違和感の原因の一つは、環境の問題。「恋愛」や「結婚」を見据えて自己PRをするとき、人はその場面にふさわしいとされる「型」を想定し、それに見合う振る舞いをするのだろう。だから、私がつまらないと感じた文章を書いた人も、別の側面を知ればとてもユニークな人物だった、ということは当然ありうると思う。言い換えると、私は私が求める「出会い」を探す場所を間違えている。(マッチングアプリが求めている場所でないのはなんとなくわかっているけど、現状、別の適切な場所を見つけられないでいる。)

もう一つは、私自身の気持ちの問題。他人に無関心なのは、どこかで現状維持を望んでいる証拠だろう。出会えないならそれはそれでいいと思っていて、何なら一人きりの時間を邪魔されるのを恐れてすらいる。人付き合いに伴う面倒事に巻き込まれるのはいや、みたいな考えに引きずられている。私自身がそんな状態に甘んじて居続ける限り、誰かと関わることなんてできない。自分の殻を破って変化に身を晒す覚悟がなければ、きっと人との関係を築くことなんてできないよ。

私はあまりに長い時間を一人で過ごしすぎてしまった。
まだまだ未熟だな。これからも精進の日々は続く。


追記(200909)
やはりアプリ利用は精神衛生上よろしくないという結論に至り、早々に削除した。自分は一体何をやってるんだ感が否めない。迷走してる。この状況、なんとかしたい。


追記(201205)
一連の考えごとを書きっぱなしにしておきたくなくて、とりあえず形だけでもいいから結論的なものを書いてみることにした。たぶん、大したことは書けない。

そもそも考えごとの始まりは、「今の自分は狭い世界に生きているので、視野を拡げたい。人付き合いのあり方を見直そう」というところにあった。それが、あれこれ考えているうちに変な道に迷い込んでしまい、事の発端からは随分離れたところへと突き進んでしまった。
だけど、一つ良い経験になったなと思うのは、この考えごとをきっかけにして、実際に縁もゆかりもない「他人」と出会い、話をする機会を作れたことだ。

その人とはネット経由で会う約束をとりつけた。たぶん、こうやって自ら思い立ち、主体的に会うための努力をしていなければ、決して出会うことはなかったであろう人。年齢や普段属しているコミュニティ、趣味趣向の共通点も特になく、まさに「世界を広げる」という意味では絶好の機会だったと思う。
幸いにも相手の方は常識的で穏やかな雰囲気の人で、(宗教や投資を勧められるような場面もなく)ごく普通におしゃべりを楽しむことができた。お話して以後しばらくは「なんだ、私にもできるじゃん!」という高揚感に酔っていて、「難しく考えず、今後ももっと人付き合いの幅を広げていきたいな」という漠然とした未来への期待感が強く、私は大いに浮足立っていた。

だけど、この機会から二週間ほど過ぎた頃、なんとも言えない疲労感がどっと押し寄せてきた。すごく当たり前のことなんだけど、全く知らない人と上手にコミュニケーションをとるためには、たくさんのエネルギーが必要なんだということを強く実感させられた。
口では「狭い世界に留まりたくない、もっと色んな価値観を知りたい!」などと豪語しながら、一度の経験でこの有様である。私が「世界を広げたい」というときの「世界」は、たかが知れている。人と縁を結び、関わることって大変だ。すでに居心地のいい関係やコミュニティを持っている人がそれを大事にしようとするのは、ごく自然なことなんだなと思った。今更確かめるようなことでもないけれど、単純にそう思った。

これを教訓とするなら、今後私にできることってなんだろう?
結局最後は疑問符になってしまった。おしまい。