200625 「メンタル安定至上主義」を見直す

↓先日見かけたツイート

これを読んで非常に腑に落ちるものを感じると同時に、常日頃、自分がいかに「メンタルは安定させて然るべき」という観念に縛られているかを思い知らされた。

1.「メンタル安定至上主義」に至る経緯

個人的な感触として、近年「精神は安定しているほど良い」とか「ブレない人は強い」みたいな価値観をよく見かける気がする。それは、(同僚や上司、配偶者などの)相手との関係性を問わず、「精神が安定している人は、仕事がデキる人・信頼できる人である」とみなす価値観である。これを信じ自分にも当てはめるなら、「自分の精神は適切に管理し、安定を保たなければならない」という考えに行き着くだろう。
「自己肯定感」を取り扱う心理系の一般書籍が多いのも、「それを維持獲得すれば、心を平穏に保てる」という考えやニーズが、広く浸透しているからなのかもしれない(関連:文末資料1)。いずれにせよ、「小さなことで気持ちが浮き沈みするのは幼稚な人間であり、自分の心を自分でコントロールするのは、社会人(家庭人)として当然の務めである」という考え方を、私は知らず識らずのうちに自分の思考の中に取り込んできた。

私が「精神を安定させなければ」と強く感じてきた理由は、社会的風潮の圧力というよりも、その思考の裏返しとして、私自身が非常に心が揺れやすい人間だからという事情がある。
私は元気なときは非常に効率的・自律的に行動し、絶えず頭を働かせて最小コストでタスクを消化するルートを計算し、適度な休息を含め、この上なく「健全」な生活スタイルに身を投じることができる。そうかと思えば、突然パタリと電池が切れるようにして何事にも手を付けられなくなり、理由もわからないままに、ベッドから起き上がることすら億劫で憂鬱という気持ちに支配されることもある。

この振れ幅が日常生活に大きな支障をきたす(医学的な診断基準に引っかかる)レベルになると双極性障害が疑われるのだろうけれど、我が身を振り返り、自分は「双極的」な面のある人間だなと思うことも少なくない。このように、私はこれまで自分の心の目まぐるしい変化とその波の大きさに悩まされてきた。だからこそ、「精神を安定させること」は私の大きな課題となり、それこそ自分の目指すべき所だと疑いもなく信じていた。

2.パートナーに「安定した精神」を求めることへの違和感

ここで「配偶者に求める性格・特徴」を例として、考えを進めてみる。「理想の結婚相手」や「結婚向きのパートナーの特徴」などを取り扱う記事や書籍を読むと、精神的に安定していること、もしくはそれに類する記述を簡単に見つけることができる。
もちろん、こうした文脈で「情緒の安定性」に触れられる理由もわからないではない。配偶者が訳もなくキレたり、突然塞ぎ込んだりする人間であれば、当然、平穏な家庭の維持・構築が難しくなる。だから、自分や家族の身を守るためにも、心が穏やかなパートナーが「理想的」ということになる。

しかし、配偶者選びの文脈で相手に「心が安定していること」を条件として求める発想は、回り回って自分を苦しめることになるのではないかと思うようになった。というのも、相手にそれを求めるということは、その要求レベルに見合うパートナーであるために、自分自身にもそれ相応の「心の平穏と安定」を要求せざるを得なくなることを意味するからだ。
他者からの要求に適う程度に「精神を安定」させる自信など、私にはとても湧いてきそうにない。だから、パートナーの資質として「安定した精神」を理想に挙げる社会は、シビアで生きづらい世界のように思える。これは、私の心が不安定だからこそ感じる不安なのだろうか。他者による査定に晒されて尚、持ちこたえることのできる「安定した精神」とは、一体何なのか。

3.なぜ違和感を覚えたのか

理由1:心は本来、揺れ動くものだと思うから
ここでようやく冒頭のツイートに戻ってくる。発信者の方の考えだけでなく、心理学の世界でもこの認識は共有されているんじゃないかな(文末資料2、3)。自分の経験に限っていえば、心が常に動き続けているのは、疑いようのない事実である。
たしかに、心の変化への対応力や見かけ上の変化の分かりやすさには、大きな個人差があるだろう。でも、たとえ常に不動の精神を保っているように見える人がいたとしても、誰もが心の変化とともに生きているという前提を忘れたくないなと思う。

理由2:心の安定を他者に「求める」という構図が変だと思うから
これはアドラー心理学で言うところの「課題の分離」の話になるのかな?(文末資料4)つまり、「心の安定性は当事者自身の問題であり、他人がその程度や内容について評価・判断するのは無意味なこと」だと思う。言い換えると、他者の課題に土足で踏み込まない限り、他者の心の不安定さが自分の課題となることはない。

理由1で見たように「心は常に揺れ動くもの」だと思うけど、だからといって不安定な心は決して「良いもの」ではない。それに身を晒すことの苦労を身を以て体験してきたからこそ、私は強くそう思う。心が安定しないと苦しいし、コロコロ変わるばかりで足元がおぼつかない自分に嫌気がさすことだって、たくさんある。(※)
それでも、ままならない心と向き合い、何とか折り合いをつけて生きていくのはその心の当事者であり、当人以外の誰にもその役割を代替することはできない。

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※脱線:「苦しみの美化」へのささやかな抵抗

苦しみを美化するつもりは更々ない。むしろそうした発想は、私の最も嫌うところである。なぜなら、苦しみを抱える当事者にとり、苦しみとは端的に苦しみ以外の何物でもないからだ。苦しみに絡めとられた人間には、その意義を尊んだり、味わったりする余力などない。仮に苦しみから生まれ出た美的価値が存在するとしても、苦しみがそれを生んだと言えるのは、あくまでも事後的な反芻の結果でしかない。

つまり、苦しみは後から遡って見れば何らかの良いもの(創作物、着想など)と結びつきうるが、その只中にあって苦しみが当事者にポジティブな影響を与えることは、決してない。苦しみそれ自体は何も生み出さないし、その渦中に在る人は、ひたすらそれが過ぎ去ることを祈り待つより他ない。言うまでもなく、苦しみなどないに越したことはないのだ。なので、私は「あのときの苦労があったからこそ…」のような物言いが好きではない。しかし、否応なしにひと度苦しみに足を踏み入れてしまったならば、それを何らかの価値に転換しようと試みるのは、至極健全な心の動きだといえよう。

安易に苦しみを美化する者、不幸に酔うことのできる者は、苦しみの最果てを垣間見た経験、あるいは今この瞬間、望まずともそこに留まらざるをえない人々を思いやる神経を、決定的に欠いていると思う。だから私は、苦しみの美化に賛同することはできない。
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今一度、配偶者の例に戻ってみる。
心が不安定なパートナーの心を安定させることができるのは、最終的にはパートナー(本人)だけである(逆も然り)。もしもその不安定さのせいで自分が不利益を被っていると思うならば、それは課題を分離できていない証拠である。パートナーの心の不安定さに対処できないのであれば、対応可能なレベルまで相手と自分を引き離す必要がある(極端な場合、関係そのものを断ち切る)。また、パートナーの心の安定のために支援や励ましもできるけれど、それらの努力はあくまでも自分の課題であり、極論すれば、パートナーとは無関係の行為だと言える。

4.結論

精神は安定しているに越したことはないけれど、それは常に変化し続けるものであり、私は必ずしもその変化に上手に対応できるわけではない。自己と他者とを問わず、不安定な心を安定に近づけてゆく努力は、最終的には心の当事者に委ねられるものであり、非当事者の関与はあくまでも補助的な役割を果たすに過ぎない。

心のあり方に関して真の問題があるとすれば、それは精神が不安定なことではなく、精神の不安定さを許容できない不寛容、あるいは人の心の余裕のなさにあるのではないのか。
自分に関していえば、心が不安定なせいで起こる問題よりも、むしろそれ以上に、「心を安定させなければ」という強迫観念やネガティブな現状認識がもたらす害(自己嫌悪、劣等感など)の方がよっぽど状況改善の妨げになっているのではないか、と思い直すに至った。

繰り返すけれど、私は心の不安定さを積極的に礼賛しようとは思わない。安定させることができるならそれが一番だし、だからこそ心の安定のために今の自分にできることは何かを、常に問い続けたいと思う。
けれど、そうして心の安定を目指して努力し続けると同時に、これから先、私は幾度となくその試みに失敗するだろう。私の心は、めんどくさい。「そんな目まぐるしくて予測不能な変化のために、他人の手を煩わせるな」と言われると、残念ながら説得力のある反論の言葉は、出てきそうにない。

翻って、私は今後、自分とは別の形で心の折り合いの付け方に苦労している人に出会うかもしれない。それが自分の力で対処(援助)できそうにない問題であれば、ちょうどよいと思える距離を探り、相手の問題を尊重しつつ、私は私にできることだけに集中しなければならない。そうでないと、きっと共倒れになってしまうから。
だけど、もしもその人が問題に向き合う過程に寄り添うことができるなら、時には支えたり、泣いたり、ぼやいたりしながら、一緒に同じ時間を過ごせたら嬉しいなと思う。


■着想のヒントとなった情報
1.信田 さよ子(2019.11.03)「自己肯定感」にこだわる母親たち、わが子を息苦しくさせるワケ「世代間連鎖」を防ぐ子育て論〈番外編〉現代ビジネス
2.The power of vulnerability (Brené Brown | TEDxHouston)
3.The gift and power of emotional courage (Susan David | TEDWomen 2017)
4.古賀史健・岸見一郎(2020.1.28)「課題の分離」こそがあなたを変え、あなたを自由にする!『嫌われる勇気』を読む(7 DIAMOND online