200818 「格差」と私


上記に触発されたとして書かれた下記のツイート以下の連投を目にした。

一連のツイートの中で下記の動画も紹介されていた。


友人の話や紹介してもらった本などの影響もあり、一言でいえば「格差」の問題、とりわけ子どもたちの環境・教育の場をめぐる格差の問題は、ずっと心に引っかかっていた。とても考えずに放置しておくことなんてできないけれど、かといって、どこから手を付ければよいのか、今の自分に何ができるのかがわからない、そういう問題。
偶然上記一連のツイートを見かけて、無様でもいいからとにかく今、何か書き残して置かなければという焦燥にかられて、ここに至っている。


自分自身の子供時代の境遇をカテゴライズするとすれば、「住む場所には恵まれず、家庭環境的には恵まれていた」と言えるだろう。
「恵まれていた面」と「恵まれていなかった面」、どちらにも片足を突っ込んでいたという認識があるからこそ、私は自分が学業・教育の面で得たものはすべて、(家庭から)偶然に与えられたものであり、その帰結だと思っている。つまり、学業・学歴に関して、私には自分の努力で勝ち取ったものは一つもないということを、確信して生きてきた。


私が生まれ育った地域は、雑に言えば「ガラの悪い」田舎だった。小・中と地元の公立校に通い、高校からは少し離れた地域(中程度の田舎)の公立学校に通った。当時、特に中学生の頃は、それなりに治安の悪い学校だということには気づいていたけれど、今振り返ってみると、全国的に見ても「最底辺」レベルの学校だったのかもしれないと思う。
学級崩壊は当たり前で、同級生たちは警察にもよくお世話になっていた。赴任してきた先生はだいたい病んでいくし、授業中は5分と静寂がもたない。中3の夏頃に英語の授業で単語(apple、baseballとかの)クイズをやっていたし、自習時間を含めて大半の授業がうるさすぎていつも耳栓をして勉強していたことは、その後しばらく持ちネタにさせてもらった。
高校以後はほぼ全員と縁が切れてしまったので、正確な数字はわからないけれど、同級生の半数近くは高校を中退しているかもしれない。

これらの環境下にありながら私がそれに染まらなかったのは、ひとえに家庭環境によるところが大きい。幸か不幸か、私はその土地の「よそ者」であり、諸々の事情でたまたまそこに住んでいるというだけの人間だった。土地やそこに住む人々との繋がりは希薄で、いずれは去る場所だとごく自然に信じていたし、同世代の友人たちともいずれは縁が切れることを前提として、その場限りの付き合いになるであろうことを常に自覚していた。
加えて何より、「お金持ち」ではないにせよ、経済的な面で不安を抱く必要の生じない家庭環境にあったので、それに甘んじて自分の故郷と周囲の人々を、心の中で容赦なく切り捨てることができてしまっていたのだと思う。孤独だったけれど全然構わなかった。そこは「いずれ去る場所」でしかなかったから。


中学校は既に書いた通りの有様だったので、中1の最初の中間試験で5科目498点をとって以来、私は3年間おおよそ学年1位の成績をキープした。無記名で全生徒の得点をグラフ化した成績表が配られると、私一人頭一つ抜けていたので私の成績はほぼ全員に把握されてしまう、みたいな状態だった。

それでも当時の私には、確信があった。
私の成績が一番なのは、「私の頭がいい」からではなく、たまたま私には静かに勉強できる場所と時間の余裕があったから。そういう条件が揃っていただけに過ぎないということを、この上なくリアルな感触を持って、強く確信していた。

不良の筆頭格みたいなAくんは、頭の回転が速くて、特に数学の飲み込みがいい。スカート丈や髪色のせいで怒られてばかりのBちゃんは、私が要した時間の半分で、要領よく宿題をこなすことができる。
入学して間もない頃、彼らのそうした理解力やスマートさ、勉強におけるセンスとでも言うべきものを前にして、愚鈍な私は怖気づいていた。「どうしてみんな、そんなにすぐに理解することができるのだろう?」私はどちらかというと要領の悪い方であり、ひたすら愚直に勉強するだけの、ただのガリ勉だった。

それにもかかわらず、気づけば「成績」として表れる数字の上では、彼らと私との間には、着実に埋めることのできない差が広がっていった。私には不思議でならなかった。私よりも彼のほうがずっと数学ができるはずなのに、勉強の段取りで彼女に敵うわけないはずなのに、それなのに、彼も彼女も、周りのみんなは、家族の問題とか素行の悪い先輩との付き合いだとかに絡め取られて、徐々に勉強どころではなくなってゆく。

私にとって中学生活とは、自分よりも色んな面で優れていると感じる人たちが、自分の目の前で(学業的な面で)落ちこぼれてゆく様を見せつけられる、そんな時代だった。

だから私には、経験的な確信がある。
私の勉学の結果は、私の努力によるものではない。彼らと私とを隔てていたものは、「個人の能力の差」などでは決してない。家庭環境や経済的な境遇が十代前半の若者にどれほどの影響を与え、場合によっては彼らの気力と自信とをいかに削ぐものであるのか。これらのことを、私は自らの体験を以てしてまざまざと見せつけられたと感じたし、今もその思いに変わりはない。


日本の格差は欧米ほどではないと言われることも(おそらくそれを示すデータも)あるけれど、これは他国との比較の問題ではない。宮崎駿監督の言葉を借りるならば、子どもたちが「この世は生きるに値する」と信じることのできない社会に未来はないと思う。そんな社会に未来があってよいとも思わない。

「子ども」時代を終えて「大人」になって以来、現在を含めて今後の人生は「余生」だと思うようにしている。現役・盛りを過ぎたという意味ではなく「残された人生」という意味で、与えられるべきものを実際の必要以上に与えられ尽くした後に残された時間として、これまで自分が受け取ってきたものを誰かや何かに与え返すために特別に生きることが許された時間、そのようなものとして捉えている。

残念ながら私は、様々な社会問題について絶えず考えを巡らせながらも、それらの問題解決のための実務家・実践家としては非常にクズクズしい、無能力な人間として生きてきた。「格差」に対して今の私になし得ることも、ほとんど見当たらない。
けれど、せめて今後は少しでもましなクズになれるように、子どもたちが「この世は生きるに値する」と思える社会づくりを担う「大人」の一人に近づけるように、そして今のこの気持ちを忘れないようにするために、この文章を残しておこうと思う(今は自分を鼓舞したい時期だから、多少過激な言い回しも許容することにする。全体的に乱文過ぎるので、後で盛大に反省するかもしれない)。

完全に折れてしまわない程度に日々自分を叱咤激励しながら、私自身が子ども時分に受け取ったものを、誰かや何かにお返しするために与えられた時間としての「余生」を全うしたい。お願いだから、「大人」として生きてほしい。


追記(200908)