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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#57 宮田和希編

宮田 和希(みやた・かずき)

投手 左投げ・左打ち 1988年11月16日生まれ
ライオンズ在籍:2009~16年
通算成績:35試合 1勝0敗 1ホールド 防御率4.31
背番号:69(09~16年)
当日所属:TEAM SEIBU

甲子園出場経験のない、野球界ではまったく無名の大阪府立福泉高の出身。最高成績は2年夏の府大会3回戦。3年夏は1回戦で、城東工高(現・城東工科高)のエースで、この年ドラフトでヤクルトスワローズから4巡目指名される山田弘喜の前に、打者24人ひとりも出塁できず、8回コールド参考ながら完全試合を許して、敗退していた。

宮田本人は「大学に進学して、野球は準硬式で続けようか」と考えていたのだが、滋賀県の甲賀健康医療専門学校(現・ルネス紅葉スポーツ柔整専門学校)の藤本政男監督から、熱心な誘いを受ける。

この専門学校には、社会人野球の日本野球連盟に加盟する「硬式野球専攻」コースが設置されており、建山義紀(現・北海道日本ハムファイターズコーチ)や藤本敦士(現・阪神タイガースコーチ)を輩出したことで知られている。

入学を決めた宮田は、野球に専念できる環境と藤本監督の指導で、高校時代は120㎞/h台後半だった球速が、最速144㎞/hへと成長する。また投げている本人が「打たれて記憶がほとんどない。どんな変化をするのか、自分でも分からない。落ちることもあれば、斜めに曲がることもある」と話す、独特のスライダーを習得する。

このボールを見た、ライオンズの後藤光貴スカウトが可能性を見出し、08年ドラフトで6位指名。当時は「ライオンズ得意の隠し玉」と話題になった。

イースタンで高い奪三振率でリリーフを続け、8月26日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で1軍デビュー。テンポ良く2死を取ったあと、3連打を浴びて2失点。プロ2試合目の登板となった9月5日福岡ソフトバンクホークス戦では四球、二塁打、四球、四球と、ひとつのアウトも取れずに降板。1軍の壁を痛感する。

2年目以降も、イースタンで投球イニング以上の三振を奪いながら、同じくらいの四球を与えるピッチング。1軍に上がっても、2週間程度でファーム落ちするくり返しだった。

そんななか、プロ6年目の14年に、課題のコントロールが改善。イースタンでの与四球数を大幅に減らして1軍に入り。8月19日のホークス戦では、2対2の同点で迎えた延長12回裏、失点すれば即サヨナラ負けとなるなか8番手で登板。ランナーを出しながら、最後は柳田悠岐を得意のスライダーで空振り三振にうち取った。

この年10試合に登板して、防御率1.84。オフにはオーストラリア・ウインターリーグに参加して、経験を重ねると、翌15年はA班でキャンプスタート。

開幕直前のオープン戦で、左前腕部に打球を受けて出遅れたが、5月に1軍昇格。31日阪神タイガース戦で、1対4の7回表に登板。1イニングを無失点に抑えると、その裏打線が秋山翔吾のタイムリー、中村剛也の3ランなどで、一挙5得点して逆転勝利。プロ7年目での初勝利に、試合後の宮田は「長かった」と眼を潤ませた。

ところが翌年、その左ヒジが悲鳴をあげて、6月に尺骨神経移行手術を受ける。術後はイースタンでの登板もないまま、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。合同トライアウトでは、2三振を奪ってアピールしたが、オファーは届かなかった。

引退後は、ライオンズアカデミーのコーチに就任。子どもたちの指導のほか、小学校訪問などの野球振興活動に汗を流している。

宮田和希 年度別成績

「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」
3月16日(土)12:00開場/14:00試合開始
会場:ベルーナドーム
配信:パーソル パ・リーグTV
放送:BS朝日(翌日録画放送)

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