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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#19 岡村隆則編

3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、残り1ヶ月あまりとなりました。ここでは出場予定のライオンズOBたちの、一味違ったプロフィールを紹介していきます。

岡村 隆則(おかむら・たかのり) 

外野手 左投げ・左打ち 1954年10月2日生まれ
ライオンズ在籍:81~88年(選手)、2008~09年(コーチ)
通算成績:493試合  669打数 149安打 打率.223  10本塁打  80打点  28盗塁
背番号:28(81~88年)、82(08~09年)

山口県立柳井高3年のとき、夏の甲子園で準優勝。中央大時代には、全日本大学野球選手権で優勝、76年の日米大学野球では、江川卓、斎藤明雄、佐藤義則、山倉和博、松本匡史といった、のちにプロで活躍する錚々たるメンバーのなか、日本代表チームの主将を任された球歴の持ち主だ。

河合楽器時代には、補強選手を含めて4年連続で都市対抗野球にも出場している。80年に日本で開催された「第26回世界アマチュア野球選手権」の代表メンバーにも選出されて、カナダ戦、韓国戦の2試合にまたがる3打席連続ホームランを打つなど、1番打者として日本代表の2位に貢献。右翼手のオールスター賞(ベストナインに相当)にも輝いている。

ドラフト2位でライオンズ入り。81年の開幕戦では、同期入団でドラフト1位の石毛宏典が1番ショート、岡村は9番センターで、スタメン起用されている。ライオンズの開幕スタメンに、ふたりの新人選手が名を連ねたのは、この年が最後になっている。

ライオンズ  新人選手 開幕スタメン

ルーキーイヤーは55試合、2年目は99試合と出場機会を伸ばして、立花義家、蓬萊昭彦、西岡良浩らと、外野のポジションを争う。また河合楽器時代に身に着けた技術で、ピアノの調律ができる野球選手としても話題になった。

俊足・強肩には定評があり、9割9分近い守備率を誇ったものの、バッティングでは壁にぶつかり、次第に代走や守備固めでの起用が多くなっていった。そのため「自衛隊(専守防衛。攻めないで守るだけだから)」などという、いかにも昭和のプロ野球チックな、あまり有難くない呼び名を頂戴していた。

そんな岡村だったが、85年5月22日のロッテオリオンズ戦(平和台球場)で、7番センターでスタメン起用されると、右安、左二塁打、右三塁打、右飛、そして5打席目に右越えソロ本塁打と、プロ野球史上38人目(39度目)となるサイクル安打を達成する。

そんな偉業にも、試合後の廣岡達朗監督は「昼間スイングしていない人が、よく打つね」と、いかにもで皮肉たっぷりな、いまならネット上で燃え広がりそうなコメントを残している。

そんな言葉に反発したワケではないだろうが、この年の10月22日の日本ハムファイターズ戦(西武ライオンズ球場)の8回裏には、1イニング2本塁打。阪神タイガースとの日本シリーズ第3戦(甲子園球場)でもホームランを打っている。

8年間の現役生活を終えたあと、89年から球団の編成部に籍を置き、スカウトに転身する。以来20年近く新人選手の発掘、獲得に尽力する。横浜高の松坂大輔、涌井秀章、立正大の西口文也、東京ガスの片岡易之(現・保幸)などが、岡村の担当した選手になる。

渡辺久信監督が就任した08年から2年間、1軍守備走塁コーチを務めたあとは、編成部のプロ担当スカウトや「ライオンズ・アカデミー」の校長職を歴任。昨シーズンはBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで、野手コーチを担当した。

岡村隆則 年度別成績


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