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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#60 戸川大輔編

戸川 大輔(とがわ・だいすけ)

外野手 右投げ・左打ち 1996年4月29日生まれ
ライオンズ在籍:2015~22年(選手)
通算成績:28試合 55打数 6安打 打率.109 1本塁打 2打点 
背番号:122(15年)、71(16~19年)、65(20~22年)
当日在籍:TEAM LIONS

馬産地で知られる北海道日高町の出身。実家の戸川牧場からは、15年のG1安田記念やマイルチャンピオンシップを制して、この年の年度代表馬に選ばれたモーリスが誕生している。

戸川本人も中学生のとき、モーリスが産まれる瞬間に立ち会っていたそうで、安田記念の日には、練習後に東京競馬場へ駆けつけて、その眼で勝利を見届けている。

北海高に進学した当初は投手をやっており、2年夏の南北海道大会では、3年生のエースが故障。初戦(2回戦)の札幌龍谷高戦で、戸川が先発のマウンドに立ったが、5回表に6失点するなど崩れてしまう。北海高では32年ぶりとなる初戦敗退を喫して、秋から外野手に転向した。

身長188㎝、体重86㎏ありながら、50m走は5秒8。その潜在能力を評価したライオンズが、14年育成ドラフト1位で指名。高校生の育成指名は球団初のことだった。

入団早々のB班キャンプで、戸川のスイングを見た潮崎哲也2軍監督は「これで育成なのか、と思わせるくらいの力強さがある。ホークスの柳田悠岐みたいになって欲しい」と、期待を込めた。

1年目はイースタンで50試合に出場。打率.129、2本塁打に終わったのだが、オフに支配下登録される。17年には、開幕前に右ヒジ、右手有鈎骨を立て続けて骨折しながら、6月下旬に実戦復帰。イースタンの4番を任されるなど、シーズン打率.271と成長のあとをみせる。

ところが、続く18年はイースタンでチーム最多の117試合に出場、7本塁打したものの、打率は.219へと下降。入団から1軍出場のないまま、4年目のシーズンを終えることになる。

この年11月のドラフトでは、北海高時代にクラスメートだった佐藤龍世が、富士大を経てライオンズに入団。危機感も覚えたのか。オフの自主トレでは、かねてから憧れていた柳田悠岐に「弟子入り」をする。

すると19年4月、プロ5年目にして初の1軍昇格。6日の北海道日本ハムファイターズ戦では、プロ初打席に立って、結果はセカンドゴロ。同じ試合では、佐藤龍世がプロ初安打を打っていた。

それから1ヶ月半、5月25日のファイターズ戦で、プロ初のスタメン出場となった戸川は、第1打席でプロ初安打となるツーベース。31日千葉ロッテマリーンズ戦では、二木康太からプロ1号となる決勝の逆転2ランを放ってみせる。これはライオンズに育成入団した選手による、初めてのホームランだった。

ちなみに、この2ヶ月半後の8月10日に、佐藤龍生もプロ初ホームランを打つのだが、相手投手が同じ二木で、球場も同じZOZOマリンスタジアム。同級生のライバル意識が働いたと言っては、こじつけが過ぎるだろうか。

20年から背番号が65へ変更。イースタンでは6打席規定には足りなかったが自己最高の打率.300をマークする。しかしながら、1軍ではシーズン1安打にとどまる。

21年4月には椎間板ヘルニアの手術。その後は、1軍に昇格しても1ヶ月足らずで抹消。外野のポジション争いから抜け出せないまま、22年シーズン限りで引退して、現在はライオンズ・ベースボールアカデミーのコーチを務めている。

8年間の現役生活で、1軍で1本塁打、2軍では通算21本塁打しているが、ベルーナドームでのホームランはなかった。この「LEGEND GAME 2024」では、ベルーナでの初の柵越えを目指して、存分にフルスイングして欲しい。

戸川大輔 年度別成績

「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」
3月16日(土)12:00開場/14:00試合開始
会場:ベルーナドーム
配信:パーソル パ・リーグTV
放送:BS朝日(翌日録画放送)


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