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Virgin VSの解散まで

祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。
擬音効果の鐘の音といえば、ファーストアルバムに、
シンデレラ・ラッキーロッキ、て曲の録音で、
教会の鐘の音が欲しい。無論サンプリングなんて無い。
スタジオのでかい灰皿を叩いて、TAPEスピード変えて?
エンジニアが色々やってくれて、そんな時間は楽しかった。

次の『スタークレイジー』は7人の顔が載っているのだが、
私の顔だけ縮小しているんだってさ。
デザイナー氏がそう言ってました。私、顔でかいですから。
てゆか20年越えて久住昌之氏(孤独のグルメ!)と話して、
あの時のデザイナー(2名の片方)が「僕です」ってさ!

Virgin VS、4年間の前半を5回に分けて書いたが、
後半2年間は今回に詰め込んで、終わりにします。
バンドメンバーのエピソードが欲しいでしょ?
でも難しっす。書きづらい。書けねーっす。御免よ。
さて1982年。思い出すのは京都Big Bang、音でかくて、
床のモニタースピーカを裏返した。それでもデカくて。
破けた音になり、スピーカ死んだと思ったのだが、
終演後、片付け中、やはり破けたnoiseが聞こえてる。
鼓膜が破れたのだ!鳥肌立つ。人生オワタ。
憂鬱な数日間、徐々に回復するのね鼓膜。人体って凄い。

雑誌の露出も減り、屋根裏の観客動員も減って来た。
事務所(りぼん)からはクビ話しも聞いた。
バンド内の愚痴も多く、嫌な雰囲気。
当時のマネージャに「あがたさんの本当にやりたいのは、
このバンドじゃなくて鈴木慶一さんですよ」と言われた。
知っとるちゅーねん。k1さんは3つ年上だが、3年なの?
当時も月と武蔵野市ぐらいの距離を感じた。才能にです。
あがた未完成「永遠の遠国」を聴いてたが、k1スゴイ。
プロコルハルム=グランドホテルが乗り移ってた。
勿論、はちみつぱいからのファンです。追っかけた。
後年VSのラスト「羊ヶ丘デパート」プロデュースはk1。
名盤だが。世に出たのは解散からずっと後。Kitty憎む。

「羊ヶ丘」録音は1983秋。時を戻そう。
春夏は私だけは録音多し。TV「さよなら三角」とか。
色々あったけど私のsiteで細かく書いた、読んでも滅入る。
28歳の終わりは全てから逃げ出したかった。奈良の禅寺。
髪もバッサリ短髪。読経/草むしり/岸田秀の日々。
三日坊主。4日目に礼を言って帰る。
12月12日はYMOの散開LIVEを見た。華々しい。
12月30日我々はルイード、あがた脱退?と日記にある。
1984.1.26.解散告知したのか不明だが、解散LIVE。
星の未来を歌った、と日記にある。
打上げ早退。どうしようもなく寂しい、と日記にある。

追伸
最後の1年の事は、書けない事もあり、ツライ。
VSは解散。1984、29歳で離婚。別の彼女とも別れ。
逃げたい。全てが嫌だ。こんな時に人は死ぬのだろう。
シニモセズ、マヤクニモマケズ、歌謡POPS編曲とか、
忙しい。家で寝ずに車で3時間仮眠が続く。だけど貧乏。
ワーキングプア。1984からメトロファルス等々。
しかし、心も金銭も地獄が続く80年代。疲れたよー。
あの時の自分へ「未来は寝放題・飲み放題・頑張れ!」
2022.3(悲惨さが強調された追伸)

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