Virgin VS(3)1980後半
1980年後半も私は凄いスケジュールでした。
てゆか年末まで休みという日は無かった。うそ。月に1回ぐらいはあった。
7月6日クロコダイル、ビデオ渡辺さん。
と日記に書いてあるので、もしかしたら私の顔、写ってるかもしれない。
疲れてやけくそかもしれません。日記には「かなり良くない」と書いてあった。
この時、客の外人が近寄ってきて「オゥ、リックウエイクマン!」と言われた。
張紅陽さんと私で10台ぐらいキーボードを並べていたものですから。
でも面白くない、私はプログレ嫌いでBlues好き系。
7月30日6回目のLIVE。渋谷屋根裏。終演後朝まで、葛城ユキのリハーサル。
さて、ヴイズですけど、客は少なかった。4ヶ月、経ってもショボかった。
アンコールで爆発する予定が、アンコール拍手が来ないこともあって、ガックリ。
アマチュアバンドだったけど、あがたさんだけは凄かった。
スゴイ形相でしたよ。どー言ったらよいのかなー。野球やサッカーの応援で、
ものすごいエネルギーを爆発させて、トランス状態の人がいるじゃないですか。
あるいは、その思い込みの強さは、変質者的ストーカーに匹敵するものが有る。
なんて、失礼だったかしら。つまり、恋愛感情が強すぎる人に似ている。
秋からRCサクセションの事務所(りぼん)に世話になるのです。
清志郎さんといえば、11月、友和百恵結婚披露宴の時、ばったり会った。
(私は友和バンドでした。)私も場違いでしたけど、
キヨシローさんも浮いてる感じでしたよ。
その11月に、ヴイズ初録音。ロンリーローラー。
レコーディングといえば、ほとんどアレンジャーの指図通りにやってきた訳で、
この時はだいぶ雰囲気が違った。好き勝手やらせてもらった。
ドラムは明らかにリズムを後ろに引っ張っていたけど、そこが良かったのかも。
てゆか、歌声の強さ、明るさが並外れていましたよ。
この頃は、全てが楽しかった。下北おでん屋で徳利25本、空にして並べたり。
地方でやると、移動の列車で何時間もしり取りして、笑いまくった。
仲が良かったんだね。シーナ&ロケットや、RCサクセションの前座でやってて、
はちゃめちゃ盛り上がったし、客も増えていった。
ところが、ヴイズ初のホール、駒場エミナースのワンマンライブ12月16日が、
私のNG日に決まっちゃったのよね。私は、因幡さんで京都会館が決まっていた。
どんな仕事であろうと、先に決まったもの優先、を誠意としてやっているし、
ヴイズにトラを頼むしかなかった。ライオンがトラを頼む訳です。
ヴイズのマネージャーは私のことを「あの人は、いずれ辞める人ですよ」
と言ってたらしい。悲しかった。(=_=;)
12月28日にはヴイズの連中が、吉祥寺の我が家で忘年会をしてくれた。
嬉しかったけど、私は別のライブが終わってから参加で、結局一番遅くなった。
年末。歌えるスナック・マリーゼから電話「時間がある時だけ来て」と言われ。
9日夜、BGMのピアノ弾きながら、背中で聞こえたのだが、店の女性が客に、
「ねぇねぇジョンレノンが殺されちゃったの!」と話していた。
何だか全くピンと来なくて、全てが夢の中のようだった。
BLUESやサルサに夢中で、5年ぐらいはBeatles聞いてなかったなぁ。
翌日、リハーサルに向かう途中、甲州街道。カーラジオでは追悼番組。
イエスタデイ。違うだろ、違うだろ、と泣けて来て。前が見えない。
運転に支障を来すので、クルマを止めて5分ぐらい泣いた。26歳。
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