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SM小説「路上の恋文」⑨定常

くだらない日常

月曜日がやってきた・・・

麻美はいつもの時間に起きて出社の支度をする。麻美は朝に弱く、ギリギリの時間に起きるためいつも朝の時間は着替え・化粧・歯磨きだけでなくなる。そんな朝の忙しさが週末の出来事をかき消してくれるのだった。姿見で全身の最終確認を終えると、慌てて家を出た。

会社に来ると、麻美は少し安堵した。周りは良識のある人々しか居ないし、業務が忙しい時期に突入していたからだ。この月曜日は新薬のプロトタイプの試験結果が出てくる日だった。朝から晩まで試験機からデータを取り出し、その結果をまとめるのに精一杯だった。幸運にもその業務に麻美は没頭できた。そして、あっという間に定時になった。

定時終了後の15分間は強制的な休憩時間となっている。ただし、それは上辺の約束事であり、業務に追われる者は休憩なしで仕事を続けることになる。麻美も例外ではない。その休憩時間が終わろうとする時、麻美は不意に肩を叩かれた。

晃子だった。

「おつかれ~!相変わらず忙しそうにしてるね~。今日もLINEに連絡入れたけど全く既読にならないから様子見に来たよ。」

「おつかれ!そうなの?!ごめんね。最近、私のスマホ、調子が悪いんだよね・・・」

「連絡付かないと困るからスマホ買い換えたら?あ、昨日少し電話したけど、次の日曜日新しい店見つけたからランチ行こうね。12時に〇〇駅の改札出口で待ち合わせということでよろしく。」

「最近のスマホ高いしね…ランチの件は了解。次の日曜日の12時ね。いつも悪いけど予約お願いね。」

だいたい、いつも晃子から麻美へ誘いがある。晃子は新しいもの好きで、おしゃれな店を見つけるとすぐに周りの友達に声をかけて実際に行くことが多かった。晃子は率先して店の手配も行う。麻美はそういうことに興味がないわけではなかったが、主体的に行動するほどのモチベーションはなかったため、晃子からの誘いを案外楽しみにしていた。

「じゃ、私は残業もないのでお先に!じゃ~ね、お疲れ様!」

そういうと、足早に晃子は去っていった。

LINEでメッセージくれてたんだ・・・そう思って麻美はスマホを取り出して画面を見た。ロックがかかっており、自由に触れないことが先週末の出来事が本当に起こったことだと改めて痛感させられるのだった。そして、ロックのかかった画面に敦司からの着信が2件あったことが示されていた。それに気付いた瞬間、麻美はパニックになった。

麻美のスマホは敦司がロックした状態のまま返すが、常に電源が入っている状態とし、着信があれば必ず出ること

敦司との約束・第1条(第8話より)

あのことは、夢でも嘘でもなかった。

忘れようと、気にしないようにと振る舞っていたが、避けることができない事実なのだ。彼女の中で焦りと不安が一気に巻き上がり、仕事どころではなくなってしまった。また電話が鳴るかも知れない。その時は必ず電話に出なければならない。麻美は強迫観念に駆られ、居ても立っても居られなくなった。麻美は自席に戻ると、すぐに帰り支度をし、周りの同僚が急な帰宅に不思議がる中、理由も告げずに急いで会社を出るのだった。

そして、会社を出て駅に向かっている途中に着信があった。敦司からだ。

麻美は周りを見渡し知り合いが居ないことを確認すると、駅へ向かう方向ではない脇道に逸れて歩きながら電話に出た。


敦司からの着信

「今日なぜ電話に出なかったんだ!僕が何て言ったか覚えていないのか?」

必ず電話に出ろ、それが週末に敦司から麻美への命令だった。麻美は怯えた。怒らせると酷い目に合わされるということが頭に染みついてしまっていた。

「仕事が忙しくて着信に気付かなかったんです・・・本当です。決して意図的に電話に出なかったわけではありません。すみませんでした。」

敦司は黙ったままだった。麻美は様子を伺いながら続けた。

「・・・あと、お願いがあります。スマホロックされたままだと不便なので直してもらえないでしょうか?周りからの連絡に返事ができず、怪しまれてしまいます。」

「お前さ、命令に背いたくせに図々しくお願いしてくるわけ?本当に頭弱いね・・・・・いいよ、じゃぁ明後日の水曜日、会社を早退して家まで来い。16時までに来い、遅れることは許さないからな。」

麻美はそんな急に早退なんてできないと反論したが、すでに電話はオフラインだった。敦司は言いたいことだけ告げてすぐに電話を切っていた。ロックがかかったスマホではこちらから電話することもできなかった。

麻美はその脇道を無意識に歩きながら、いくつも湧き出る疑問に答えを出そうとした。

敦司を本気で怒らせただろうか?
スマホロック解除は諦めるべきだろうか?
明後日の早退はどうすべきだろうか?
また敦司の家に行って大丈夫だろうか?
いや、敦司の家に行かなければどうなるだろうか?
いっそのことスマホを買い直して回線も契約し直してみたらどうだろうか?
晃子や同僚に相談したらどうだろうか?
本田先輩に相談したらどうだろうか?

麻美は必死に考えたが、答えは決まっていた。麻美の弱みは全て握られているのだ。敦司に従う他ないのだ。警察にまで言おうとは思わなかった理由は麻美の心の奥底に何かあったのかも知れない・・・敦司に従うという答えを自分に言い聞かせるように、目を閉じて歯を食いしばって一度だけ頷き、覚悟を決めた。麻美の中の焦りや不安が和らいだ気がした。

そして、何も無かったかのように脇道から元来た道に戻り駅へと向かった。

帰り道にあるスーパーでの買い物、帰宅直後のシャワー、くだらないテレビを観ながらのアルコールなど、今まで通りの生活パターンを送った。そして、自由に使えないスマホを充電しながら麻美は眠りについた。

次の日、麻美はいつも通り出社した。スマホを肌身離さずに仕事をしたが着信は一度もなかった。何事もなく、今までと同じルーチンの火曜日は終わっていった。

<続く>

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