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II. 黙示録の幻(4-22章)の構成(1)7シリーズ×3

4-22章が、黙示録の幻の”本体”であり、教会が勝利を得るためにと「御霊が諸教会に告げること」になります。これまで預言者たちを通して語られたことごとのクライマックスがここからの幻に秘められているのです! 預言者たちが、御霊を受けて、律法はじめ神の言葉を預かり、宣告すべく召された人たちであったことを鑑みると、聖書の集大成がこの幻に凝縮されているとも言えるでしょう。

この4-22章に描かれる一連の幻で、はっきりしていることを挙げてみましょう。

7シリーズ

すでにトップ画像で示唆していますが、数字を10まで数えることができる人であれば、誰でも、幻の鍵となる数字に気がつくでしょう。

7です! 

7と言えば、黙示録の冒頭より「7つの教会」(1:4, 11, 20; 2-3章)、「7つの金の燭台」/「7つの教会」(1:12, 20)、「7つの星」/ 「7つの教会の御使いたち」(1:16, 20)が記されています。

7は完全数(の一つ)。創世記に記される創造の業は7日で完成しました。そんな背景、意味するところはここではさて置き、7と言う数字は、黙示録において、それなりの意味があることが予見されます。

すると(そんな考えるほどもなく数えられますが)、封印が第1から第7まで、続いてラッパが第1から第7まで、そして、鉢が第1から第7までと、7シリーズの幻が3組、浮かぶでしょう。

  1.  封印 6:1-8:5

  2.  ラッパ 8:6-11:9

  3.  鉢 15:1-16:19

何故か間が抜けてたり、第1から第7へと進まず、あれっ!? となるところもありますが、その点については、また改めて触れます。ひとまず、この3組を図にすると、こんな(↓)感じになります。

そうしてみると、4-22章の中で7シリーズの幻が描かれる前後に(間にもですが)、“外れる”部分があることに目が留まります。4-5章と17-22章です。

7シリーズの前後

どんなことでも最初と最後が大切です! 初めが肝心、終わりよければすべて良し(逆に終わり駄目ならすべて台無し!?)です。最初と最後を見落としてしまったら、土台/前提が分からず、帰結/結末も見えません。逆に、そこが示されれば、間に生じる事々にどのような意味があるのか、何の目的があってのことなのか、といったことが分かるでしょう。ということで、7シリーズを挟む最初と最後をよく見てみましょう。

この前後の2つの部分には、共通点がいくつかあります。

いずれでも、ヨハネは「ここに上れ」(4:1)、「ここに来なさい」(17:1; 21:9)との招きを受けます。

厳密には、4:1と17:1; 21:9 の表現は異なります。4:1で用いられる「ここに」は、黙示録の中核をなす箇所で秘儀が啓示される際に用いられるものです(13:10, 18: 14:12; 17:9; cf. 11:12)。少し先取りすると、これらの箇所に、地にあって天を仰ぐ戦いの勝利への秘訣がある、天から啓示される奥儀が明らかにされるのです。が、この点は、またその箇所が来るまで保留にしましょう。(もちろん、先んじて読み味わってください!)ここでは、主のために地で孤軍奮闘するヨハネが、御霊によって、天への招きを受けて(4:2)、すべてに先立ち、とこしえからとこしえに続く、圧倒的な現実を知らしめられます(4-5章)。

一方、17:1と21:9は、7シリーズの最後の幻の提示が終わった後のこと。ヨハネは、再び御霊によって、ヨハネは、対照的ではあるものの、いずれも啓示の場(荒野、大きな高い山)へと導かれます(17:3; 21:10)。そこで、終わりにもたらされる究極の現実を示されます。世の支配の裁き〜終焉、神の支配(新天新地)の到来です。ここに、7シリーズの幻が示す様々な現象を超えて、約束されている確かな帰結であり目当てが明らかにされるのです。

3つの7シリーズは、この天の現実を前提として、天が最終的に地にもたらされるにあたって起きている(また起ころうとしている)現象を描き出します。キリスト者は、この狭間の時、地で起こる出来事、それに直面する自分たち自身を、どうとらえるべきか? とこしえの現実を示された上で、今まさに直面する渦中只中で、何を仰ぎ、どのように戦い、どんな勝利を得るのか? 漸進的に明らかにしていくのが3つの7シリーズです。

その7シリーズに入る前に、もうちょっと、前後それぞれに焦点をあてたいと思います。 

【補足】以下、思い立った時に、ポチポチ補足しています。脈絡を気にせずご参照ください。

  • 「ここに」(13:10, 18: 14:12; 17:9;)について:

    • 13:10 ・・・ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。

    • 13:18 ここに、知恵が必要である。 

    • 14:12 ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。

    • 17:9 ここに、知恵のある考え方が必要です。

内容は改めてみたいと思いますが、まさに「ここに」こそ! 知るべき秘訣が明らかにされるんだ!! という畳みかけです。
 ちなみに、この「ここに」は、4:1の他、11:12にも記されています。「二人の証人/預言者」が、証しの故に、主と同じように殺された後、主に続いて復活させられ、招きを受ける場面です。さて、この二人とは誰か!? また後述します。 


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