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他人をインストールする

私にとって、恋人や友人、尊敬している大好きな人と過ごすことは何よりの楽しみで、心の底から湧き上がるような幸福感を感じられるイベントの一つである。
何より嬉しいのは、自分の脳みその思考の一部に、その大好きな人たちの思考の一部がインストールされたかのような感覚を感じる時である。

例えば、相手の口癖が移ったことを不意に自覚した時。
相手が好む音楽や食べ物を、自分も好きになった時。
同じタイミングで同じリアクションをした時。
言いづらいことを勇気を出して伝えたら、相手も同じようにそのことを気にしていた時。
嬉しくて嬉しくて、にこにこしてしまう。

私の脳みそにひょいと入り込んできてくれる人たちのことが、私は心底大好きだ。
彼らが入り込んできてくれているのももちろんだけれど、私が彼らに心を許して、脳みそのゲートを開け放っているからこそ、そこになだれ込むように入ってきてくれているのだと思う。
そうして、仮の姿の彼らを私の脳内に住まわせて、のんびりと過ごしてもらったり、時には励ましの言葉をもらったりしているからこそ、私自身が穏やかな気持ちでいられる。辛い時や不安な時も、彼らがひょっこりと顔を出して、優しく見守ってくれる。
彼らのおかげで、私は今までの人生をなんとかやってこれたと思う。

私は、誰にでも自分のことを好きになってほしいとは思っていない。私の良さがわからない人に、私の思考の髄まで知り尽くしてほしいとは思わない。分かろうと努力して、頑張って理解されても嬉しくない。そのままの私を全身全霊で受け取ってくれる人がいるってわかっているから。だから、話が通じなさそうな人には、自分から話しかけると言うことはあっても自分の核心となる情報は渡さない。そうして、私は自分にとって心地よい世界を築き上げてきた。この世界観に馴染む住人だけを住まわせてきた。

だけど、それでもったいないことをしたことはたくさんあると思う。
自分の経験則から言うと、「こいつとは馬が合わない!」と思った人ほど、時を経てびっくりするくらい打ち解けることができたりするから。
なんなんだもう。

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