遺品整理

父親の職業および自分の進学・就職の都合で、たった22年の人生の中で4回の引越しを経験した。自室の押し入れには、複数の引越し会社の段ボールが収納されている。

この世の中で、生まれてから1度も実家を出たことのない人がいるのと対照的に、私は比較的引越しの多い人生だったと思う。むしろ、定期的に引越しをすることのほうが当たり前という気さえしているし、新たな環境で心機一転して新生活を始めるというのは、とても心躍るものである。

複数回の引越しをして何より良かったと思うのは、荷造りを繰り返すたびに自分の持ち物全てを見直して、取捨選択をする機会を持てたことだ。
荷造りの基本は、まず荷物を減らすこと。理想といえば、1K・収納なしの部屋でもモノの置き場に困らないくらい持ち物を減らすことではあるが、残念なことにそこまで断捨離スキルは高められていないようだ。

モノを捨てるときによく思い出すのが、「どうせいつか全て灰になる」ということだ。全て灰になって、お別れしなければならない時が来るのであれば、そのモノとのお別れの方法をしっかりと考えたい。
いつまでも箱の中に仕舞い込んだままで、灰になるまで一度も陽の光を浴びないモノがあるとすれば、それはモノにとってどれだけ悲しいことだろう。

私は、そんな「頻繁には見ないけれど大切な思い出」カテゴリに属するモノたちに関しては、スマホで写真を撮って、丁寧に袋に詰めてそっと収集場に出すことに決めている。写真さえ撮っておけば、またいつでも好きな時に会えるから。これで腹をくくると決めて、モノたちの最後の晴れ姿だと思って大事に大事に写真に収めている。

驚くのが、この「お別れ式」で撮った写真、その後ほとんど見返すことがないのだ。私が薄情なのか、忘れっぽいのか、どれだけ大切だと思っていたモノでも、意外とこんなもんなのだ。そう気づいてから、断捨離が捗る捗る。

あとは、「1秒考えてストーリーが思い浮かばないモノ」も即、断捨離の対象だ。身の回りに、ストーリーのないモノを置きたくないと思っている。友人からの頂き物とか、何かの記念に買ったものだとか、デザインに心底惚れて買ったものだとか、何か語れる要素がなければ、その時点でそこに無いも同然なのである。

まだまだ荷物は多いので、現在進行形でせっせと生前遺品整理をやっているわけだが、モノの整理をしたいもう別の理由として、自分がもし明日死んだとして、私が残したモノたちを家族が見た時にどう思うのだろうかと考えてしまう側面がある。
別にやましいことがあるわけではないのだが、整頓されていない荷物を一つ一つ整理していくというのは骨が折れる作業である。その部分でできるだけ迷惑をかけたくない。それから、自分が本当に大切にしていたモノたちを、たとえ自分の死後であったとしても無碍に扱われたくない。もし家族が自分の遺品を残してくれるのだとしたら、それはとても嬉しいことだと感じるし、できるだけ選びやすいように整理しておきたいと思う。
現に私も祖母から、祖母の母親の白黒写真を譲ってもらったのだが、自分が大切にしているものを他の家族や孫などに大切に扱ってもらえるというのはとても嬉しいことだと思う。

私の断捨離と遺品整理はまだまだ続く。
どれだけ取り組んでも飽きないというのが不思議なところである。モノを減らして理想の自室に仕上げることができれば、また何かの形で公開したいと思う。

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