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母が遺したもの 

 このタイトルからすると、まるで母はもう亡くなっているみたいだが、まだ生きている。
母は、昔話をするとたいてい「やりたいことは20代でやり切った」と言う。今私は20代の初めのほうだけれど、やりたいことをやり切るほどの熱量で日々を過ごせているかと問われれば、微妙なところである。母から「情熱にあふれていた私の20代」のエピソードを聞くといつも、かっこいいな、自分もいつか、自分の子どもにそういう風に話したいなと思う。

 母の20代はこんな感じだ。音楽大学を卒業後、郵便局に勤めたり、外資系の大企業に勤めたり、海を超えてイタリアで働いてみたり、とにかく行動力が今の私とは比べものにならない。時代が時代だから、大学時代はクラブに行って踊ってみたり、合コンに行ったり、授業をサボって遊び呆けていたそうだ。今の姿からは想像もつかない。仕事もバリバリとこなしていたようで、面と向かって言うことはできないが憧れの女性である。

 そんな母の武勇伝がいくつかある。
 まず、郵便局の採用面接の時のこと。志望理由を答える際に、とっさにトンチを効かせて「祖父が病気をしていて、お金が必要だから。」と答えたそうだ。実際にそのような事実はなかった。目的のためには手段を選ばない女なのである。
 それから、私の父親の転勤に伴う引っ越しの際のエピソードなのだが、なぜか辞令が出された1週間後に引っ越しをしなければならないドタバタなスケジュールを言い渡されたそうだ。その時に母は、仕事で帰りの遅い父親の代わりに気合で荷造りをして、引っ越しの3日前には荷造りを終わらせてクラブで踊っていたというのだ。なんだか人生楽しそうである。
 もう一つは割と最近のことなのだが、車を運転していて速度超過で警察に違反切符を切られそうになった時、警察官の問いかけに対して、ひたすら「知りません〜〜〜」としらばっくれて、難を逃れたというのだ。それで許されてしまう女なのである。

 母とは音楽の趣味も合う。私の音楽の趣味は、たいてい母親が既に数十年前に歩んでいる道なのである。貴重なCDやレコードなんかもよく残してくれている。

 とはいえ、母は割と苦労人である。話を聞いている限りは、決して裕福な家庭で育ったわけではない。母は、生前に父親(私から見て祖父)を交通事故で亡くしている。学校で用務員をする母(祖母)に、女手ひとつで育てられた女姉妹の妹である。用務員室で寝泊まりをしていた時期もあったようだ。母は、忙しい祖母に代わって、小学校低学年の頃から家事をこなしていたという。

 このように母子家庭の出身で、環境も恵まれているとは言い難い中で、母は何を思い、日々過ごしていたのだろうか。これは私の想像だが、母は何としても、自分の手で貧困の連鎖を断ち切らんとし、自らの手で切り拓いてきたのだろうな、と思うのである。これまで私を大事に大事に育ててきてくれたのも、きっとその一環なのである。
 そして今、そのバトンは私の手に渡されようとしている。

 近頃は私に対して恥ずかしげもなく下ネタを言ったり、スマホゲームに没頭したり、テレビを見ては幼女のようにキャッキャと騒ぐ母であるが、それはきっと昔できなかっとことの埋め合わせでもあると思うのだ。これからは、かつての20代をもう一度やるつもりで、一生自分の好きなことをしてカッコよく歳をとってほしい。私は、できるだけ早く孫の顔を見せてやりたい。母には常々「孫に両手を引かれたい」と圧をかけられているのだ。

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