受け入れがたかった経験さえ美化してしまいそうになる

中高時代、どうしても好きになれなかった友人とか、とても迷惑をかけられた相手が何人かいる。その人たちのことは「人種が違うんだ」と思って諦めていたし、本当は頭の中から掃き出してしまいたい存在なはずだった。
なのに、ふと中高時代のことを思い出すタイミングがあったりすると、なんだか懐かしく感じてしまう。「あれも思い出の一つだな」と思ってしまう。その人たちと関わったことで、当時の私の中に生まれた辛い気持ちとか、やるせなさとか、悲しさとかはどこに行ったんだろう。そういった気持ちを、自分自身で蔑ろにしているような気がして、自分の心に自分で鍵をかけているような気がして、ちょっと窮屈な気持ちになってしまうけれど、そんな窮屈さを感じる時こそ強く「生(せい)」を感じるし、これが「生きていく」ということなんだろうか。

あるいは、10数年という長いようで短いようなまとまった年月をかけて、じっくりとその物事を消化して、許せるようになったんだろうか。

それが、成長ということなんだろうか。

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