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奇跡講座WB実践359 神からの答えは何らかの形をした平安である。苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いにすぎなかったと理解される

第二部
14 私とは何か
レッスン359
神からの答えは何らかの形をした平安である。苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いにすぎなかったと理解される。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


なぜあの人はああいう考え方しかできないんだろう。
なぜあの人はあんな言い方をするんだろう。
あの人の言動は理解できない。
普通親しい人にそういう態度取らないんじゃないかな。
なぜこの人は、あの人をそばに置くのだろう。


ふとそんなことを考えている自分に気づく。
違う違う。
あの人、この人のことじゃない。
私だ。
私の罪悪感の投影だ。私が私を罰しているから、私の目に不足の状態が投影されて見えているんだ。


あの人がこの台詞を今度口にしたら、これを言おう。
そうしたらあの人はこのことについてもうちょっと考えるだろう。
この人が今度これをしたら、こっちがどう感じるか伝えよう。
そうしたらもうちょっと周りのことを気にかけるだろう。


心の中でそんな攻撃をしている自分を見つける。
違う違う。
私が兄弟に攻撃を与えたら、私が攻撃を受け取るんだ。
私が受け取りたいのは攻撃じゃない。
私は私の無罪性を受け取りたい。
だけどまだ私は兄弟を私とひとつだとは思えていない。
頭ではひとつだと考えているけれど、
それがわかっていない。
だから兄弟の無罪性を見るということもわかっていない。


すぐに心はイラッと反応する。
すぐに心は恐れる。
すぐに心は見下す。
すぐに心は裁く。


どれだけ赦しが必要かを思い知らされる。

赦しの機会に漏らさず気づき、
赦しをさせてください。

赦しの機会を見つけたとき、自分を裁かず、
赦しができることを喜ばせてください。

私の口はイエスが使いますように。
私の目はイエスが使いますように。
私の手はイエスが使いますように。

私がイエスの邪魔をすることがないよう、
私は赦しをし続けることができますように。

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