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奇跡のコース実践記録1

★パート1 現在の見方を解除する取り組み

レッスン1
この部屋の中で私が見ているものには、何の意味もありません。

レッスン2
私は、この部屋の中で見ているもののすべてに、それらが私に対して持っている意味のすべてを与えています。

レッスン3
私はこの部屋で見ているものを何も理解していません。

レッスン4
これらの思いには何の意味もありません。これらの思いは私がこの部屋で見ているものと同じようなものです。

レッスン5
私の動揺は、私が考える理由によるものであることは決してありません。

レッスン6
私が動揺しているのは、そこにない何かを私が見ているからです。

レッスン7
私は過去だけを見ています。

レッスン8
私のマインドは過去の思いにとらわれています。

レッスン9
私はいかなるものもありのままに見ていません。

レッスン10
私の思いには何の意味もありません。


2020年の9月くらいから、#非二元 に関する本を読み始めました。その頃初めて #非二元 という言葉を知ったのです。それまで認識していたものは二元の世界であって、それは幻想に過ぎないと。
#ウィングメーカー 、#レンシースペザーノ、#ジェフフォスター、#ラメッシバルセカール、#ラマナマハルシ、#アダマスセントジャーメイン、#ジョセフベナー などの本を読んで実践していました。

なのでこれらのレッスンの言葉はなんとなく分かってるつもり。
それでもじっくり実践すると、なんとも不思議な気持ちになります。

私が今見ているものに意味がない。
机、椅子、カップ、窓、空、樹、鳥、猫・・・
机は、机であると教わった過去の記憶から、頑丈で平らで物を書くのに適した場所だと認識しているだけ。
でもその本質は理解していない。私が机だと信じているから机が見えている。

空がどんより曇っていると気分もどこかどんよりする。
それは過去の記憶があるから。
親が雲っていたり雨が降りそうだったりすると、どんよりした反応をしていたのを見て、そういうものだと信じたから。曇っていた日に何か気分が落ちるような出来事があった経験があるから。

でもその経験は今起きてるわけじゃない。だから曇っていたからといってどんよりする必要はない。
ありのままに見るというのは、ただ曇っていると見るだけ。
そこに私の過去の記憶をくっつけて意味を持たせる必要はまったくない。


でも私たちはすべてにおいて瞬時に過去の記憶をくっつけて物事を見てしまいます。それが当たり前すぎて、だってそういうものでしょ??だってそれが常識でしょ?と信じて疑わないんです。まるで呼吸するのと同じように、とても上手にスムーズに過去の記憶とくっつけて判断してしまってるんです。


なんの意味もない。


これはある意味衝撃です。
ど・・ど・・どういうことぉ???
です。


「あなたが嫌い」
そう言われたら、ショックです。
動揺します。
すぐにあれこれ考えます。
きっと私が何か気分が悪くなるようなことをしてしまったんだ。
何か誤解してるんじゃないか。
なんとか誤解を溶けないだろうか。
どんな風に私のことを苦々しく思っていたんだろう。あんな風に?こんな風に?
あ、あのことかな。あれが気に障ったのかな。

これらの考えは私の頭の中でだけ出てきていることで、そんなことは相手の口からは出ていません。
これらの理由も過去の記憶から引っ張ってきてるんです。

子供の頃、友達と喧嘩したときはこんな理由だった。お母さんから怒られるのはこんなことをした時だ。だから今回も・・・

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないことをあれこれ考えます。

ありのままに見るというのは、
「あなたが嫌い」と言われた。
以上、です。

そしてそれを聞いた私の感情は、嫌われたくないから、そんなこと言われたくない!と反応している、ということです。


まずはこうして、いかに自分が勝手に意味付けして物事や出来事、人の言動、表情を見ているかに気づいていきました。


いや~~
ほんとに「ありのまま」になんて受け取っていなかったです(^o^;)

ありのままに見るってことは、もう十年以上意識してたつもりでしたが、ここにきて、こういうことか!と驚きでした。


Ruru

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