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奇跡講座WB実践347 怒りは必ず裁きから生じる。裁きは、奇跡を自分から遠ざけておくために、私が自分自身に突きつける武器である

第二部
13 奇跡とは何か
レッスン347
怒りは必ず裁きから生じる。裁きは、奇跡を自分から遠ざけておくために、私が自分自身に突きつける武器である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


あの日のあの時間。
私は宮城県岩沼市から仙台市に帰る電車の中にいた。

あの日のことは鮮明に覚えている。

東日本大震災。


今日、Linpが見ようと言って見たドラマには
その日からのことが画かれていた。

ドラマを見ながらも、あの日からの感情、思い、自分の行動が流れるように思い出される。


まだこの世界のことなど何も知らずに、
だけどいろいろわかった気になっていて、
ただ幸せになりたくて必死にもがいていた頃。


あの頃の思っていたことや考えていたことはまったくの間違いだったんだと気づいた今も、
ドラマを見ているとその頃の感情になる自分に気がついた。

何が起きているのかまったくわからない。
小さなスマホの画面で見るニュースの映像も、何を撮しているのか理解できなかった。
停電でまっくらな街。
数時間歩いて帰宅し、7階まで階段を上り帰った家は、
奥に一歩も入れないほどめちゃめちゃ。
恐怖、不安、焦り、悲しみ。
寒さに震えながら、3枚のビスケットを口にし眠った夜。

翌日からも会社は業務を遂行できる状態ではないけれど、
出社できる人は出社して、できることをしていた。
支援できることがあれば出掛けていった。
応援を求められれば助けにいった。

これから自分はどう生きていくのかずっと考えていた。



完全に引っ張られている。
体験したことだし、知ってるし、大変だったし、
完全に現実に起きたことと見ている。

胸が苦しくなってくる。

罪悪感の投影だと見て赦しをする。

赦しをする。

赦しをする。

だめだ。
引っ張られている。

見終わってなお、引っ張られていた。



偉そうに言うだけの人の場面には、
”てめーがやってみろっ!”
って思いがあふれでてしかたない。

組織って大きくなればなるほどこうなるよね。


ああ、完全に引っ張られている。

この裁きは、この怒りは、
私を傷つけるものなのに。


イエス、自我の見方でしか見れない。
今の私は自我の見方でしか見れない。
この出来事が現実に起きたこととしか見れない。
対処しなければならないことだとしか見れない。
そのようにしか私は見たくないんだろう。

イエス、あなたにはどういうふうに見えてるの?
私もそのように見たい。

ホーリー
私の罪悪感を取り去ってください。
私の真に見たくないという思いを取り去ってください。
裁きたい心を取り去ってください。


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