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奇跡講座WB実践 最終課題

最終課題
レッスン361~365
聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。あなたが主導してください。あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


最終課題は5日間。
初日から、今までとは180°意識が変った気がした。
聖霊に導いてもらうというのはどういうことなのか。
頭でこんな感じかなと思っていたものとは違う。
うまく言えないけど、360のレッスンとこの最終課題ではガラッと意識が変わるのを感じた。


一日目

聖霊に主導してもらう。
本当に主導してもらいたいと思うには、
本当に自分にはなにもわからないんだって知る必要があるんだと思った。

ホーリー、お願いします。
口にすること、考えること、感情を導いてください。

そう言って始めた一日。
朝のうちは聖霊を思っていたけれど、
日常が始まるとまもなく聖霊への意識はふっとんで、
今まで通りの発言や考えをしてる自分に気づいた。

気づいて、赦しをした。

そんな一日。


二日目

今日は用事があって3時起き。
横になったまま練習前の文章から最終課題を読み、聖霊に今日一日の導きを願う。

むくりと起き上がった瞬間、聖霊への意識がスッと引く。
顔を洗っていたり、食事の準備をしていたりなど、何か単調な作業をしていると、また聖霊への意識がフッと瞬間的に戻ってくる。
そんな繰り返し。

やっぱり今日も一日あたふたと過ぎた。
今まで通りの聞き方、反応、発言をした瞬間に、
また聖霊の導きを願わなかった!と気づく。
そんな繰り返しの一日だった。

それでも事象としての問題はなにもなく、
私の心の中でだけ、恐れや心配の揺らぎを知覚していた。

明日も3時起きの予定だったけど、明日の予定はキャンセルになり早起きの必要がなくなった。
これはありがたいことだった。

このことも聖霊の導きってことなんだろうな。


三日目

横になったまま練習前の文章から最終課題を読み、聖霊に今日一日の導きを願う。

シャワーのような雨の中、歩いているときにふと思った。

口からでる言葉や考え、きっと意識すら聖霊の導きに従うってことなんだ。
起きる出来事、やってくる人、それに反応する私の心、考え、
すべて聖霊の導きだということ。
私の心に動揺を知覚したら赦しをすればいい。
目の前の人の心に動揺を知覚したら、その人が間違って持っている罪悪感の現れなだけだから、その罪悪感に赦しをする。
なにかわからなくなったら、聖霊に求める。

それでいいのかもしれない。
それはとても安心で楽なことじゃないかな。
自分でどうしようと考えたりすることがない。
また動揺を感じてしまったと自分を攻撃することもない。

ちょっと嫌だな、めんどくさいなと感じる人が最近よく話しかけてくる。
それもまた聖霊の導きで、赦しの機会なんだろう。
嫌すぎて赦しをしてなかった。。。
聖霊に助けてもらってやってみよう。


四日目

横になったまま練習前の文章から最終課題を読み、聖霊に今日一日の導きを願う。

人の愚痴を聞く。
その人の気持ちはわかる気がする。
相手の人の心持ちもちょっとわかる気がする。
たぶん”わざと”とか悪気とかじゃなく、本人なりの一生懸命なのだろう。
求める一生懸命さと本人の一生懸命さのずれがあるんだろう。

なんて思いながら聞いている。

これって分離の聞き方だろうな。。
愚痴を言っている人に対しての私の反応も分離の反応だろう。

聞き方や私の反応について聖霊の導きを願いたいけれど、
会話のなかでそこがうまくできず、分離の聞き方、反応を選択してしまう。

聞きながらこのことに気づき、聞きながら心の中で聖霊に赦しをする。


五日目

今日も練習前の文章から最終課題を読んで聖霊に願い、一日をスタートした。

嫌なものは嫌で、イラッとすることはイラッとする。
気になることは気になり、ちっちゃな恐れも通りすぎていく。

聖霊を信頼している。
聖霊の導きに従いたい。
聖霊の導きを聞きたい。

そう思うけれど、五日間この課題に取り組んだけれど、
最終日も終わる今でも、正直よくわかってない。

この思いをイエス、聖霊に話して眠りにつく。

ホーリー、
まだあんまりわかってないよ。
私は聖霊の導きに従っていきたい。
自分で決めたゴールではなく、神のゴールに向かって聖霊の導きに従っていくことを意志したい。
どうかあなたの導きを受け取らせてください。
分離の見方をする原因の罪悪感を取り去ってください。
誤った罪の意識を持つ心を修正してください。

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