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奇跡講座WB実践50 私は神の愛によって支えられている

第一部
レッスン50
私は神の愛によって支えられている。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


あなたの信仰は、最もつまらぬ狂った象徴の数々に捧げられている。錠剤、金銭、「身を護るための」衣服、影響力、名声、人に好かれ、「適切な」知り合いをもつこと、そして、あなたが魔術の力を授けている数限りない虚無の形態である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


私は神の愛に支えられている。
いつも、常に。

私の中に見た神の光。
たぶんほんの一握りにも満たない、いやもしかしたら米一粒にも満たない私に残っている真の部分。
そこから発せられる光は稲光のように強くすべてを包み込む。

その真の部分は消して失われない。
その真の部分は神の愛。光は神の愛。
神はけして見放さない。
神はけして手を離さない。


振り返ると私は自分の願いを叶えるために、この世の様々な”虚無の形態”を信じていた。

雑誌に載っている服を手に入れる。
セレブが持っているようなバッグを手に入れる。
疲れた肌を回復させるためエステに通う。
素晴らしい人たちの経験談が掲載されている雑誌を読む。
専門外の専門書を読み、仕事の効率を上げ成果を出す。
国内の美味しいもの情報を得て、出張先で手に入れたり取り寄せたり、最新情報を逃さないようにアンテナを張り続ける。
健康のためにとサプリメントを服用する。
ハイヒールを履いて銀座を闊歩していた。
そんな20代30代。

その時に望んだものはそれなりに手に入れたけれど、心の底ではずっと虚しさがあった。
いい服を買っても、いずれ飽きる、古くなる。
ずっと着られるわけじゃない。
きれいな肌を手に入れても、褒められた一時嬉しいだけでその維持のためにお金と時間をかけなければならないと思う。
仕事で成果を上げても、賞与や給料が上がっても、それも心を満たすものではない。
美味しいものも食べたら終わり。
サプリメントも本当に効いてるかはわからない。

親友も恋人も、信頼しきっているかと言われればそうではなく、
どこか気を使ったり嫌われないようにと頑張ったり。
24時間一緒にいるなんて疲れてしまうと思っていた。


神の愛はそんな小さなものではない。
神の愛はそんな変化するものに依らない。


小学5年か6年の頃、小学4年の担任が亡くなった。
病気で大学を中退した。
20代の頃、高校時代の友人が事故で亡くなった。
20代30代、半年に一度大きな怪我や内蔵の病気を繰り返す。
30代、新病院開業準備でよく話をしていた看護部長が自殺した。私がもっと話を聞いていたら・・と思った。
34歳、うつ病崖っぷちで休職した。
37歳、仕事で表彰されるも、表彰されたことがプレッシャーになる。
42歳、婚約者が病気で亡くなる。

私は仕事を辞め、真理を求める道を歩き始めた。
様々な本を読み、心惹かれたものは著者の話を聞きに行ったり実践してみたりした。
自分に隠してきた自分の本心を見るのはとても苦痛だった。
学んだことを実践しているつもりでも、目に見える現実は望むように変わらなかった。
でも心は少しずつ楽にはなっていた。
ハイヒールはもう履かない。もう頑張らない。

それでもまだ幻想世界に自分の幸せを求めていた。
まだ経験したことのないことを経験したら心が満たされる状況があるんじゃないか、そう思っていた。
思い付く限りやってみた。
寄付、保護、神社巡り、コンサルティング、セミナー 等々。
それらも始めこそ気持ちが満たされているように感じたものの、
何度も繰り返すうちに、虚無感が出るのを見ないことには出来なくなっていった。
そのうちにすべてを失った。
住む場所さえも。

そして奇跡のコースに出会った。

これらすべてのことに神の愛の支えがあった。
その時はわからなかったけれど、今、本当に神の愛があったことを感じる。
私自身はなにもしていない。
ただ聖霊を通して神の導きのなか、
神とひとつであったところに還ろうとしている。
愛だけがすべてであるところに還ろうとしている。

そのためにこれらの経験が私には必要だった。
この世界のすべてが幻想であることを受け入れるのに、これらの経験が私には必要だった。
自我の示すものの中には私が求める真の幸せはないと知るのに、これらの経験が必要だった。


今も常に神の愛が私を支えている。
目に映る誰の機嫌がどのようであっても、
目に映る誰にどんなことが起きていようとも、
私自身にどのようなことが起きようとも、
そこに実在するのは神の愛だけだ。
なんと穏やかで平安なことだろう。
心の内奥から幸せな感覚が沸き上がる。


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