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奇跡講座WB実践344 私は今日、自分が兄弟に与えるものは自分自身への贈り物だという、愛の法則を学ぶ

第二部
13 奇跡とは何か
レッスン344
私は今日、自分が兄弟に与えるものは自分自身への贈り物だという、愛の法則を学ぶ。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


今朝、早朝から大失敗を犯した。
勘違いとはいえ、私の責任であることは間違いない。
事は最小限の影響で止まったけれど、
この大失敗に関連してさまざまな思いが一日中駆け巡り続けた。

大丈夫だよ、気にしないでと言ってくれる人は多かったけれど、
大丈夫だよと言いながらRuruのせいなんだよと人に話す人。
無言になる人など、
私の罪悪感を刺激しまくる人も数人いた。

Ruruのせいだと言っていると感じたり、無言でいることを私への非難だと受け取っているのは私だ。
なぜそう受けとるかと言えば、私の原初の罪悪感ががっつりあるからで、そこを感じられる絶好の機会に自我は大喜びしている。

そう感じて私は赦しをし続けた。


でも今日は赦しをしてもしても、
私の知覚は間違い続けた。

なぜ今日の大失敗が起きたかの原因について、
だれもちゃんとわかってない。
だれも私の解釈や理解をわかってる人はいない。
自分が非難されることは絶対避けようとするのに、非難する対象が見つかるとがっつり非難を向けてくるあいつ・・・
私の気持ちをすごく理解してるって思い込んで勝手にずれたアドバイスをしてくる。

止まらない。
止まらない。

流れるように自分を防衛するような自我の思いが溢れる。
赦しが追い付かない。


私が兄弟に与えるものが私に与えられるのだ。
確かに私は兄弟を非難している。
ここぞと人を非難してんじゃねーよ、とその人を非難している。
だから私が非難されていると感じる言葉を知覚するんだ。

兄弟を赦す。
兄弟の言動は私の罪悪感の投影にすぎないんだから、
私の罪悪感の赦しをする。


それでも溢れだした自我の思いはなかなか止まらなかった。

心眼で見るなど一秒も意識しなかった。
大失敗など起きていない。
ただ私の中の罪悪感が投影され、
罪悪感はこんなにもあるんだよと気づかされたんだ。

私がするのは私を責めることじゃない。
人を責めることじゃない。
ただ私の罪悪感を見て、それを赦すことだ。


だめだー
だめだったよー
そうイエスに話して
聖霊に赦しをして眠りにつく。爆睡。

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