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奇跡講座WB実践318 私の中で、救済の手段と到達地点はひとつのものである

第二部
10 最後の審判とは何か
レッスン318
私の中で、救済の手段と到達地点はひとつのものである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


私が求めているものは何か。

何があれば私は満たされるのか。

私が満たされている状態とはどんな状態なのか。


何もわからない頃、
これかなと思うものを得ることを目的にしていた。


両親に抱きしめてもらう。
好きなものを食べる。
好きなものを得る。
誉められる。
認められる。
評価される。
行きたいところへ行く。
やってみたいことをする。
愛される。
ラグジュアリーな生活。

生活苦が無くなるような奇跡を求める。
人間心理を学ぶことで心の平安を求める。
不安や動揺が無くなるようにと瞑想をする。


何を頑張ってみても、満たされることはなかった。
満たされたと思うのは一瞬で、
真の自分が誰かを知らない私は、すぐに不安に落ちていった。



私が求めているものは、私の救い。

私の救いとは、神が創造した私の無罪性を見出だすこと。

私の無罪性を見出だすために、
私は赦しをする。
赦しは神が私に与えてくれた私の役割。

私が赦しをするために、
私の目には赦しが必要な心の中の誤った信念が投影される。

赦しによって聖霊は誤りを取り去る。
誤った信念がすべて取り去られた時、
神が創造したままの私が見つかる。

神が創造したままの私。
それは愛でしかなく、無限に自由。
すべてが一体であるところ。
神と一体であるところ。


私が求めるのはここであるに違いない。
それより必要であることなど何もない。



なのに、今日もそれとは対極の幻想を信じている。
赦しをするけれど、まだ分離の世界にいたいと
私の心は思っている。
特別でありたいと、思っている。

心で涙を流しながら赦しをする・・・

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