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奇跡講座WB実践239 私の父の栄光は、私の栄光である

第二部
2 救済とは何か
レッスン239
私の父の栄光は、私の栄光である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


いつもイライラしてしまう人が朝、私に話しかけた。

「最近いつも私、一番忙しいところに当たる。大変だー」


ピクッ

かすかにイライラが発動する。

聖霊に思いを馳せる。

すると彼女のこの言葉に、彼女の罪悪感があるのだと気づいた。
彼女は罪悪感のために、自分は一番大変なところに当たるという結果を受け取るべきだと信じているんだろう。
だからそう思えるんだ。

きっと、俯瞰で見たらけしてそうでもない状況でも、彼女にはそう見えるんだろう。彼女にとっては大袈裟でもなんでもなく、”大変な状況にいつも置かれて”いるんだろう。

そしてその彼女の言葉に反応する私もまた、私の罪悪感を彼女に投影しているだろう。


私の罪悪感は彼女の罪悪感と同じものだ!
同じひとつの罪悪感だ!

私の罪悪感に赦しをして取り除いてもらうということは、
彼女の罪悪感を取り除いてもらうことなんだ!


そんな風に感じたのは初めてだった。
きっと聞いてはいるんだろうけれど、
このように受け止めてはいなかった。
どこかでやっぱり私の罪悪感と他の人の罪悪感は別のものだと見ていたんだ。


頭で知るのと、体験で知るのはほんっとに違う!


きっと私は、まだ分離の見方で見るだろう。
でもそれに気づいた瞬間、この体験を思い出せる。
そして全部がひとつなんだと思えたら、それに赦しができる。

その赦しは確かに世界を救うだろう。


私の罪悪感は取り去られ、彼女の罪悪感も取り去られるだろう。
私が知覚するすべての人の罪悪感が取り去られるだろう。


父が見るように
イエスが見るように
聖霊が見るように
世界を見ることを意志していこう。

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