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引き寄せのその先へ~2心は安定を、魂は○○を求める

《Ruruの体験》

ウィングメーカーの中に
『ドールマン・プロフェシー』という小説がある。

これならRuruも読みやすいだろうというので読んでみた。

一つ一つの言葉にしっかりイメージを持っている私には、やっぱり難解で理解しきれるものではないけれど、何を書いてあるかを理解しようとせず、感性で読むようにした。


すると


どんどん先を読みたくて、読み続け。本(これは電子書籍だったけれど)を読むのにえらく時間がかかる私にしては最速の、数日で現在公開されているすべてを読み終えた。

小説だけれど、書いてあることは、
エイブラハムで言うこの部分のことかなと感じることも多く、今の時点で私が体験し理解していることにも合致するような内容も多くて、とても面白かった。

例えばソースの世界のイメージだろうと思われる描写があり、その中に入ることを想像するととても気分がよく癒されたり。
登場人物の感情がすごくよくわかり、共感しまくったり。


そのドールマン・プロフェシーの最後の方にこんな記述があった。


心は安定を、魂は変化を求める。
安定からは学びを得ることができない。
激動の試練の中にこそ学びがあり、それは魂を求めている。
     ードールマン・プロフェシーー


まさに。


まさに、まさに、まさに!!!


引き寄せの法則は宇宙の法則なので、良いも悪いもなく、ただそういう法則なのだというもの。


私自身のことを考えると、引き寄せの法則を実践しようと思う動機には、心の安定を得たいからというのがあったように思う。

「ない」ものを「得る」ためにどうしたらいいかというような捉え方をしていた。

だからつい「ない」にフォーカスしてうまく引き寄せられないという経験もした。

反面、執着がないものほどすんなり引き寄せていた。
縁でもお金でも食べ物でもなんでも。

ぜっっっったいあれが食べたい!
と思っているうちはなかなかその機会は訪れなかったけれど、ま、そのうち食べてみれたらいいかな♪と思っていると、思いがけず用意してもらったり、プレゼントされたり、といった具合。


そして行きたいところ、食べてみたいもの、やってみたいことをどんどん実行に移せるようになった。

その間、それを実行しても満足してないことに気づくことが度々あった。
食べたいと思ったものを食べても、
行きたいと思ったところに行っても、
宿泊したいと思ったところに泊まってみても。

結局私が好き!と思えるものが私にとって一番で、高価かそうじゃないかは関係ないんだとわかった。



そんな経験を3年ほどしたところで、そんな経験が出来ない状態になった。
今度は真逆の状態を体験することになった。


「ない」ことにフォーカスすれば、我慢しなくてはならないことが苦しくなったり、なんで今こんな状態になってるんだろうと不安や心配、疑う心も出てくる。

でも「ある」ことにフォーカスすれば、こんな状態でもこれも「ある」、あれも「できる」、これが「おいしい」、暖かく眠れるのが「幸せ」など、嬉しいことしか目に入らなくなる。
友人たちがフォローしてくれるのも本当にありがたい。


9月末までに引っ越さなければならなかったことも、9月最終週になって急にモーゼの海の水が割れるがごとく、引っ越すことができた。

状況がすっかり好転したかと言えば、現実にはまだな部分が多いけれど、それでもありがたさと幸せと、多くの新たな発見に感動する日々だ。


確かに学んだと思う。
できれば経験したくなかったことではあるけれど、経験したからこそ学んだことばかりだ。


肉体の五感を研ぎ澄ましたいと思っていたら、今の環境は最適!

太陽、風、樹々、月、星、川、田んぼ、鷺、鳶、雉、鴨、雀、烏、飛蝗、蜻蛉、蝶々・・・・・
豊かな自然をすぐに感じられる。

朝に散歩すれば、樹々の間に差し込む太陽光線が朝もやの中光ってとてもとても美しい。


魂を成長させていただいている感覚が強い。
とはいえずっとこのままでいたい生活環境ではないので、早めに改善していくことを望むけれど、いつまでに・・・とは考えなくなった。
私がそこを心配しなくてもソースはすべてを知っていて、私にとってベストなタイミングですべてを整えてくれるから。


この先の展開もとても楽しみなのだ。


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