奇跡のコース実践記録21
★パート2 真の知覚の獲得への取り組み
1. ゆるしとは何でしょうか
気づいてから何日経ったでしょう。
ずっと心にはあるけれど、どうにも怖くて覚悟がきまらなかった、アレ。
まだ数日かもしれないけど、感覚的にはずーっと経ったように感じます。
パンドラの箱。
この日、目覚めと共にやっと開ける決意をしました。
朝食を摂り、散歩に行き、そして座ります。
文章を書いてみようと思っていましたが、それは違うと、この時感じました。
文章は、何か分かってもらうために書く感じがします。
言い訳っぽいような、説明になってしまうような、そんな感じがします。
言い訳や説明というのは、自分と自分以外が存在する場合のことです。
分離の世界のことです。
私は分離の世界には生きない選択をしました。
今、統合作業の真っ只中です。
一元性ですべてのものを見るように、二元性で見ていた見方を一つずつ手放しているのです。
だから、説明は違うんです。
さて、まずは開けるところからです。
・・・
・・・・
・・・・・
開けられません!!
深く深呼吸をします。
1回。
2回。
胸が苦しい。
呼吸が苦しい。
逃げたいほど。。
聖霊にお願いしました。
自我の囁き。
えい!
開けました。
パンドラの箱を開けるまで数時間。
開けてからある言葉を伝えるまで数時間。
もう夕方になろうとしていました。
やっとの思いである方に伝えた瞬間、椅子に崩れ落ち倒れ込みました。
疲れました。
こんなにもこんなにも一歩が踏み出せないものでしょうか。
こんなにもエネルギーを使うものでしょうか。
寒くもないのに体の震えが止まりません。
今日のレッスンの言葉たちが応援してくれていました。
その言葉たちをギュッと握りしめて、体中に力を入れていたのです。
これで何か変わるのか変わらないのか、それは分かりません。
どっちでもいいんです。
とにかくこの一歩を踏み出せたことが、本当によかったと感じていました。
脱力ーーーーー
私のパンドラの箱の中に何が入っていたのか。
それはここには記しません。
私にもわからなかった、私にも見えていなかった、見たくなかったもの。
おそらく無意識にしまいこんでいたもの。
これは一元の世界に生きるには不必要なものでした。
これを持ったまま一元の世界には行けません。
神の創られたものではないものを持って、神とひとつには戻れないのです。
あといくつパンドラの箱があるのか、ないのかわかりません。
それほど多くの幻想を信じることで自分を守ろうとしてきたのです。
手放す時は怖いと感じます。
その怖れは自我のものです。
幻想を手放すことで本当の私が傷つくことはありません。
むしろ徐々に解放され楽になっていきます。
自我は最大限の抵抗をして手放すことをやめさせようとします。
なぜなら手放すことは自我の死を意味するからです。
ひとつひとつ気づいて、
ひとつひとつ手放して、
そして今も神とひとつであることを思いだし、
この世界で神とひとつで生きるのです。
その時、この世界は天国になるのです。
Ruru
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