奇跡講座WB実践53 復習11~15
今回ももちろんレッスン1~10の復習をベースにする。
レッスン1~5が確信になっていく。
レッスン11~15を私なりに整理してみる。
私のなかには意味の無い考えと真の想念がある。
意味の無い考えが、意味の無い世界を写す。
それは狂った考えであり、狂った世界。
狂った考えは動揺を生み出し、恐れを生む。
苦しみ、損失、死の世界。
真の想念は、神の意思であり神とひとつである私の意思。
それは実相世界。実相世界は一切狂っていない。
平安と静けさ、穏やかさ、自由である愛の世界。
そこでは恐れの結果をすべて免れる。
私は瞬間瞬間に、意味の無い考え(自我の見方)か真の想念(神の見方)を選ぶことができる。
これまでは意味の無い考えが生み出す世界こそ、現実だと信じていた。
でもそれは幻想であり、その世界は苦しみしか生まない。
それは散々味わってきた。
真の想念を忘れた自分の考えたことの中には、一時の幸せと感じることはあっても、望む真の幸せは一切無かった。
一時の幸せはすぐに過ぎ去っていった。
私は真の想念を思い出し、神が創造した実在の世界だけを見たい。
私が真理の探求に入ったのは、どんなに考えたことを頑張っても、望む幸せにはなれなかったからだ。
それどころかずっと苦しかった。
こんな苦しい世界に、なぜ産まれてきて生き、そして死ぬのか。
だから真理を求めた。
そこには苦しみから逃れたいという願望があった。
お金の苦しみには、いい気分でいたら波動が高くなってお金が入ってくるということを実践していた。
そこにはお金が入ってくるという私が勝手に決めたゴールがあった。
お金が入ってきたら苦しみは無くなると思っていた。
容姿の苦しみには、美肌を保てたら、いい感じに痩せたら、今より幸せになれるんじゃないかという願望があった。
それは美肌を保たなければ、スタイルを保たなければという苦しみを生んだ。
健康の苦しみには、健康になるために病気にならないために、
必要な栄養をバランスよく摂らなければという苦しみを生んだ。
そのために好きなものを我慢するという苦しみも生んだ。
なのに半年毎の骨折、外傷、内蔵疾患、数年間におよぶ蕁麻疹に苦しみ続けた。
変わらぬ愛情を与えてくれるパートナーを望んでいた。
幸いなことに結婚できたし、二人で同じ心の学びをしていたけれど、
なぜか彼の言動にイライラする自分が定期的に出てくる。
彼に反発する自分も居続けた。
彼がいなくなるのは困るから、そんな反応は止めたいと思いながら、止めることができなかった。勝手に出てくるんだ。
このような様々な苦しみから逃れたい。
逃れるために、出会ってきた様々な教えや学びを実践してきた。
そして逃れられないと感じると、まだまだ出来てないんだと自分を責めた。
実は”逃れたい”出来事というのは、神が創造した愛の世界に還るために起きているのだと思う。
”逃れたい”という願望を手放したとき、本当に自由になる。
本当は逃れる必要のあることなど、なにも起きていないのだから。
狂った私の考えが投影された世界は、すべて幻想なのだから。
私の考えが投影された世界に起きる出来事を私は見ない。
私は実在の世界に還る。
私は実在の世界を見る。
そう決断して、私は真の想念を選ぶ。
実在の世界へは聖霊が導いてくれるのだから。
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