見出し画像

奇跡講座WB実践58 復習36~40

第一部
レッスン58 復習(レッスン36~40)
36 私の聖性は、私が見るものすべてを包み込んでいる。
37 私の聖性が世界を祝福する。
38 私の聖性にできないことは何もない。
39 私の聖性が私の救済である。
40 私は神の子として祝福されている。

奇跡講座下巻 受講生のためのワーク


誤って持ってしまった罪悪感と、自分の罪悪感の投影に過ぎない幻想世界を創造したことを赦し、本当の自分が誰なのかを思い出す。

本当の私は神が創造した被造物の一部であり、神の一部だ。
神の想念が真の私の想念だ。

それが私の聖性。
真の私は神とともにあるから、罪は一切ない。
それが私の無垢性。つまり無罪性。
クリスタルの光のイメージだ。

クリスタルの光は私自身を癒すとともに、その光が及ぶすべての幻想を無に帰し、すべての罪悪感から私を救う。
罪悪感がなければ恐れもない。
私の考えが私が見る世界を創るのだから、
私の考えに恐れがなければ、私の見る世界には恐れがない。
何かを失ったり奪われたり、苦痛を被ったりすることはありえない。

神はすべてにおいて、私を支え、守り導いている。
すべての良きものを私に与えることが、神の意図だ。


この一日無垢性をイメージしたクリスタルの光の中で世界を見ようと思った。
日常のあれこれで、常にこれを意識することはできなかった。
それでも日常の会話の中で誰かの噂話や、誰かへの不満、怒り、疑いなどの声を耳にする時、意識してみた。

そういうことを耳にするのは、私の罪悪感の投影だということを思い出し、まずそれを赦す。
そして聖性の光の中で見る。

見ると言っても、目に見える映像や耳に聞こえる言葉が変わるわけじゃないけど、それに対する私の考えがいつもと違う感じがした。
同調しようとしないし、それを重大事と捉えることもない。
ただ目に見え、耳に聞こえたことが通りすぎていくようだ。

時に同調してしまうこともあったけど、それすら留まることなく流れていった。

一日は滞りなく過ぎ、恐れたり悩んだりするようなことはなかった。


聖性とは?無垢性とは?と考えていると、
私の考えはまだ自我の考えのためわからなくなる。
私にはイメージしてそのイメージの中で練習するほうがやりやすみたいだ。

記事内容を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!