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奇跡講座WB実践229 私を創造した愛が、私の本性である

第二部
1 赦しとは何か
レッスン229
私を創造した愛が、私の本性である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


私は今、愛の中にいる。

なのに私と相手を分離して考え続けたり、
今までと同じように、相手に注意したくなったりする。
また何かチェックされるかと気にしたり、
チェックされないようにと気を使ったりする。

それはまさに私が分離の見方を選んでいるからだろう。


愛は分離していない。
神から離れていない。
ひとつだ。

だから相手も私もない。
ひとつだ。


飼っていた猫と別れたことに罪悪感を覚える。
この幻想世界での私の投影によって別れたように見えていただけだから、真に見れば別れていない。
猫も私。
ひとつだ。


近所の犬の姿が見えない。
老犬で後ろ足が少し不自由そうだった。
亡くなったのかもしれない。
でも”かわいそう”ではない。
”かわいそう”と見るのは私の投影だ。
”かわいそう”なことなど何もない。
不自由さもなにもない。
犬も私。
神と犬と私とひとつだ。


おばあちゃんが電車に乗ろうとして、
人混みに押され倒れてしまった。
助けに駆け寄る人、目線だけおばあちゃんに向ける人、
気づかない人。
それぞれの人がいるように見えるのは私の投影だ。
助けなきゃいけない存在があって、助ける人、助けない人がいるという分離の見方をしている。
分離は起きていない。
起きたと信じている私の投影にすぎない。
ひとりひとり、みんな神のひとり子。
みんなひとつ。
神とひとつ。


分離に見えていることを知覚したら赦しをしよう。
私の罪悪感が投影されているのに気づいたら赦しをしよう。
罪を犯したと信じているのが投影されたら赦しをしよう。


私たちはみんなひとつ。
みんな神のひとり子。
今も神に愛されている神のひとり子。


私はそこに完全に還る。
みんなとともに、神とひとつであるところに還る。

このように意志することも聖霊に導かれている。
誰も取り残されることはない。
ひとりもこぼれ落ちることなく、神の愛にすくわれる。

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