奇跡講座WB実践57 復習31~35
私の誤った考えが投影されたこの世界は、私を縛る牢獄。
この世界に留まりたいという私の願望だけが私をこの世界に縛りつけている。
つまりこの苦しい世界は自分で作り上げたものだ。
自我の私はこの世界に留まりたいとやっきになっている。
本当の居場所には戻りたくないと。
本当の居場所に戻ることは、自我の死を意味するから。
自我の私の考えは真理とは正反対だから、
この世界が恐れと不安、心配に満ちているなら、
本当の世界は愛と平安と自由な場所だ。
真の私の心も平安である。
この世界は私に赦しが必要な私の考えを見せてくれる。
それが見えたら赦し、聖霊に取り去ってもらうことができる。
それをし続けることで、私の誤った考えは取り消され、
幻想世界が隠し続けてきた真実が見えてくる。
すべてのものの中にある真の部分が見えてくる。
自分との一体性を理解し始める。
この世界で生まれてから身に付けた価値観、常識というもの。
それによって勝手につけた様々な序列。
こうでなければならない。
こういう時はこうするものだ。
この立場になったらこうするものだ。
自分はあの人と比べてこうだから上だ、あるいは下だ。
これを得なければ。
これを得たから成功だ、得ていないから失敗だ。
こうした見方から序列をつけ、
人を見下したり自分を卑下したりして苦しんできた。
これらは自分を縛り付けてきた。
だから目に見える人も自分を縛り付ける。
こんな苦しい世界になんかいたくないと思っているけれど、
神から分離した自我の私は、神を恐れているので、
この神から離れた(と思っている)幻想世界にどうしても留まりたいと思っている。
だからこの世界こそ現実であると信じ込むことを選んできたのだ。
神とひとつであった真の自分に還りたいと、今強く願う。
だからこそ、この世界に見えるものを自分にはどうしようもない現実だと見ることはやめる。
この世界は私の誤った考えが投影されているだけの幻想だと気づき続ける。
そして、その誤った考え方を聖霊に修正してもらい続ける。
私は真に見たい。
絶対に真に見たい。
すべての出来事が完全に整えられたタイミングで起こる。
自我の私の目には不都合に映る時もあるけれど、
過ぎてみればすべてが絶妙なタイミングで起きている。
だから私はすべての出来事を受け入れよう。
何が起きても、ただ聖霊を信じて受け入れよう。
まだまだ瞬間的に抵抗しちゃうけど、受け入れていこうと思う。
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