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奇跡講座WB実践56 復習26~30

第一部
レッスン56 復習(レッスン26~30)
26 私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。
27 何にもまして、私は真に見たい。
28 何にもまして、私はものごとをこれまでとは違った見方で見たい。
29 私が見ているあらゆるものの中に、神がいる。
30 私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワーク


私の中の攻撃的な考えが目に映る世界に投影され、攻撃的な出来事を見ているのだから、
私は自分の中の攻撃的な考えを取り去ってもらいたいと強く思った。
その攻撃的な考えは、誤ってもってしまった罪悪感から出てくるものだから、その罪悪感も取り去ってもらいたいと強く思った。

これらが取り去られなければ、私は真に見ることはできない。
そう思っていた。


だけど。
取り去ってください!と願ったからといって、
どれほど強く懇願したからといって、
次の瞬間サーッと消えていくものではない。

一時心が穏やかになったかに見えるけれど、
何かちょっとした出来事が起きれば、
すぐにまた攻撃的な考えが湧く。
罪悪感を感じる。

こういう状態に留まっていることはとても苦しい。

私には無理なんじゃないか。
心眼で見ることなんかできるようにならないんじゃないか。
真の私に還ることなんて、今世できないんじゃないか。

そんな自我の声が聞こえてくる。
そう、これは自我の誘惑なんだ。
それに気づけば、聖霊やイエスが言っていることを思い出せる。
そしてまた聖霊の手を選ぶことができる。

私はとにかく聖霊を、イエスを、信頼する。


今回のワークをしていて感じたことがある。

私の攻撃性の奥に真理がある。
私の狂った考えの奥には、神の意志がありそれは真の私の意志だ。
だから私の攻撃性を取り去れなくても、
真理に向かうことができる。

世の中で起きる出来事を今までの見方で見るのをやめて、
真に見る。

誰かと誰かが争っていても、
それは私の攻撃性の投影であると見る。
そしてその争いは私にある攻撃性を見せてくれているものだ。
その攻撃性を、攻撃性の基である罪悪感を取り去ってもらう。

誰かが何かを恐れていても、
その恐れに同一化するのではなく、
その恐れが私の投影であると見る。
そしてその恐れは私の罪悪感を見せてくれているものだ。
この罪悪感を取り去ってもらう。

誰かの行動にイライラする。
そのイライラは私の中の攻撃性、罪悪感を見せてくれている。
この攻撃性、罪悪感を取り去ってもらう。


初めは私を攻撃するように見える現象に対してやっていた。
それが最近では、だんだん小さなことに気づくようになってきた。
こんなことまで??
これも?
と、罪悪感、攻撃性だらけなのが見えてくる。
またちょっと嫌になってくるけど、
これはとっても順調な印。

小さいことに気づけるようになってきたんだな。
些細な心の揺らぎに気づけるようになってきたんだな。


目に見えるもの、耳に入るものはすべて私に教えてくれる。
そして攻撃性、罪悪感をどんどん取り去る機会となる。

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