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奇跡講座WB実践351 罪のない兄弟は平安への導き手である。罪深い兄弟は苦痛への導き手である。私は自分がみたいと選んだほうを見ることになる

第二部
14 私とは何か
レッスン351
罪のない兄弟は平安への導き手である。罪深い兄弟は苦痛への導き手である。私は自分が見たいと選んだほうを見ることになる。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


職場でイライラするという友人と話していた。
彼女はこう言った。
「Ruruのように穏やかにいたいと思うんだけどね。」

私は言った。
「腹んなかは真っ黒いものが渦巻いてたりするんだよ。そういうときは黙ってるの。だから穏やかそうに見えるのかもしれないけど。」

すると彼女は頷きながら言った。
「黒いものをどこで吐き出せばいいんだって思うんだ」

それを聞いて、あっと思った。
ここまで普通に話していて、赦しのことなど全然出てこなかったけど、最後の彼女の言葉を聞いて、赦しだと思った。

でもそれをなんて言っていいかわからない。
ゆっくり話す時間もない。
時間があったとしてもどこから話していいかわからない。

黒いものを私も抱えてて赦しが必要なのは私だ。
こんな私が話して彼女が聞いてくれるかもわからない。


「あぁ・・・」
なんて、めちゃくちゃ曖昧な返答をするしかなかった。


いつもそう。
今までいつもそうだった。

その時々で学んでいたことを、友人にも話したいなと思うけど、
なんて話していいかわからない。
そもそも説明が下手だし、論理的に理解してるわけじゃないから、何言ってんの?状態になる。


あのとき言うべき言葉のようなものも聖霊から何もこなかった。


彼女のために伝えたいという思いはある。
でも伝えようと考えると体が緊張して強ばるのがわかる。
こんな状態で伝えるのは違うと思う。


歩きながら思い巡らしていると、
”赦し”
という言葉が出てきた。

あ、そこも私の赦しでいいんだ。

彼女に知らなければならない問題解決法があるんじゃない。
彼女に問題があるんじゃない。

彼女に伝えなきゃならない何かはない。
私が口で伝える必要があることは何もない。
ただ、私は赦しをするだけだ。
私の赦しをするだけでいいんだ。


私の心が赦されれば、彼女の心も赦されていく。
なぜなら彼女は私の投影なんだから。


体から力が抜けてふわっと楽になったような気がした。
そうだ私はいつも通り赦しをすればいい。

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