奇跡講座WB実践351 罪のない兄弟は平安への導き手である。罪深い兄弟は苦痛への導き手である。私は自分がみたいと選んだほうを見ることになる
職場でイライラするという友人と話していた。
彼女はこう言った。
「Ruruのように穏やかにいたいと思うんだけどね。」
私は言った。
「腹んなかは真っ黒いものが渦巻いてたりするんだよ。そういうときは黙ってるの。だから穏やかそうに見えるのかもしれないけど。」
すると彼女は頷きながら言った。
「黒いものをどこで吐き出せばいいんだって思うんだ」
それを聞いて、あっと思った。
ここまで普通に話していて、赦しのことなど全然出てこなかったけど、最後の彼女の言葉を聞いて、赦しだと思った。
でもそれをなんて言っていいかわからない。
ゆっくり話す時間もない。
時間があったとしてもどこから話していいかわからない。
黒いものを私も抱えてて赦しが必要なのは私だ。
こんな私が話して彼女が聞いてくれるかもわからない。
「あぁ・・・」
なんて、めちゃくちゃ曖昧な返答をするしかなかった。
いつもそう。
今までいつもそうだった。
その時々で学んでいたことを、友人にも話したいなと思うけど、
なんて話していいかわからない。
そもそも説明が下手だし、論理的に理解してるわけじゃないから、何言ってんの?状態になる。
あのとき言うべき言葉のようなものも聖霊から何もこなかった。
彼女のために伝えたいという思いはある。
でも伝えようと考えると体が緊張して強ばるのがわかる。
こんな状態で伝えるのは違うと思う。
歩きながら思い巡らしていると、
”赦し”
という言葉が出てきた。
あ、そこも私の赦しでいいんだ。
彼女に知らなければならない問題解決法があるんじゃない。
彼女に問題があるんじゃない。
彼女に伝えなきゃならない何かはない。
私が口で伝える必要があることは何もない。
ただ、私は赦しをするだけだ。
私の赦しをするだけでいいんだ。
私の心が赦されれば、彼女の心も赦されていく。
なぜなら彼女は私の投影なんだから。
体から力が抜けてふわっと楽になったような気がした。
そうだ私はいつも通り赦しをすればいい。
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