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奇跡講座WB実践41 私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く

第一部
レッスン41
私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


このレッスンの長い練習を寝起きでやってみた。

目を閉じて主題概念をゆっくり繰り返した後、自分の内側へ入っていくイメージ。深く深く入っていくのをイメージした。
すると、私の中に抵抗が現れ始めた。
まずは日常のなかで最も気になること。
相手が存在して、その相手が間違っていると思う抵抗。
その抵抗は私の自我の愛のない考えで、私の罪悪感から生じていることだから、その罪悪感を取り去ってくださいと聖霊にお願いした。

そしてまた深く入っていく。
するとまた抵抗が現れた。
もう忘れていたほどの思い出。
その人に言われたショックなこと。あるいはそのことへの怒りの思い。
それも同じように私の自我の愛のない考えで、罪悪感から生じているもの。この罪悪感も取り去ってくださいと聖霊にお願いした。

そしてまた深く入っていく。
これを数度繰り返していくと、厚い鉄板のような抵抗が現れた。
これはびくともしなさそうだ。
その厚い鉄板は至大な罪悪感だと感じた。

あー、こんなものがあったのか。

この奥には神がいる。
世界のすべてに届く光がある。
そう感じた。

それでこの鉄板も取り去ってくださいと聖霊にお願いした。
そしてその奥の神に意識を向けた。
しかしやはり分厚く堅固な鉄板はびくともしない。
何度も続けているうちに少し欠けた。
その欠けたところの奥に垣間見えたのは、稲光のように輝く光だった。

今日はここまで。

赦しを続け、真の見方を練習していけば、
いずれこの分厚い鉄板も取り去られる。
今はこれで充分。

垣間見えた光によって、私の中に神がいるということを受け入れた自分がいた。
今までも何度も耳にしていたけれど、なんとも実感が持てなかった。
でも私の中に神がいる、いつでもどこでも神が共にいるということが当然のように思えた。


それでも日常の中では、やはり愛のない考えが湧いてくるし、
動揺もする。

それでも安心感がある。
レッスン34くらいからこの41までの実践を繰り返せばいい。
心は次第に心眼に馴染んでいくだろう。


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