奇跡講座WB実践330 今日、私は自分自身を再び傷つけない
私(自我)には理解できない。
神は愛だ。
愛以外にない。100%愛。
愛しかないところからは愛しか生まれない。
神が創造されたもの。
それは真の私たち。
ならば、真の私たちは愛。100%愛。純粋な愛だ。
純粋な愛からは恐れや不安は生まれない。
罪も生まれない。
苦しみも生まれない。
このことは頭で考えれば、わかる”気がする”こと。
体感としてはまったくわからない。
この世界を作ったのは私以外の偉大な存在だと思ってきた。
私は不足だらけだと思っていた。
だから無いものねだりをしていた。
あれが欲しい。
ああなりたい。
そうしたら幸せになるに違いない。
こうだったらいいのに。
こうじゃないからだめなんだ。
だけどこの不足だらけの世界を作り出したのは私だった。
神に対して罪を犯してしまったと思い込んだから、
私は不足だらけになったと信じた。
そう信じている私は、私が不足だらけである証拠を投影し続ける。
あれがない。これもない。
あれができない。
より不足を感じるために、
私に無いものを持っている人を登場させる。
私ができないことをできる人を登場させる。
そういう人を見て、私は私には無い、私にはできない
という信念を強めていく。
さらに人の口を使って、
おまえはこれができない。
おまえはこうじゃなければならない。
おまえはこうしなければならない。
と言わせ、さらに私の不足感を強める。
私を傷つけてきたのは親ではない。
私を傷つけてきたのは友でもない。
私を傷つけてきたのは敵ではない。
私を傷つけてきたのは、私自身だ。
罪悪感を持った私自身だけが、私を傷つけてきたのだ。
この罪悪感は私には取り除くことができない。
この罪悪感をどうやって取り除くのか知らない。
この罪悪感がどこにあるのかも知らない。
この罪悪感を取り除く方法を聖霊は知っている。
この罪悪感がどこにあるかを聖霊は知っている。
この罪悪感を取り除けるのは聖霊だけだ。
私が罪悪感の投影に気づいたとき、
私はその罪悪感に赦しをする。
それが私の中にあったことを認め、取り去ってくださいと、聖霊に差し出す。
それによって聖霊はその罪悪感を取り除くことができる。
この罪悪感がすべて取り去られた時、
私は純粋な愛の存在であることを体感できるかもしれない。
私を傷つける思いに気づいたら、それを赦そう。
それを聖霊に持っていこう。
聖霊はいつも私の声を聞いている。
わたしはひとりじゃない。
わたしたちはひとつなんだ。
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